江戸時代の藩校「旧崇広堂」で感じる歴史と学びの息吹(三重県伊賀市の旅:2026-07-11)

 

旧崇広堂(三重県伊賀市)

2026年7月11日に訪れた三重県伊賀市の旅。2015年3月14日以来、実に11年ぶりとなる伊賀上野城周辺の散策記を、全数回にわたってお届けしています。

忍者電車と名物豆腐田楽、歴史薫る旧小田小学校本館を巡る旅(三重県伊賀市の旅:2026-07-11)

今回は、旅の第二弾となる前回の続きです。明治時代のモダンな雰囲気を今に伝える木造校舎・旧小田小学校本館をじっくりと見学したあと、上野公園の西側にあるお堀沿いの美しい道を南へと向かって歩を進めていきました。右手にそびえる伊賀上野城の圧巻の高石垣を見上げながら散策を続け、西大手駅の近くに静かに佇む「旧崇広堂(きゅうすうこうどう)」へと足を延ばしました。

城下町にひときわ映える鮮やかな「赤門」が出迎える歴史空間

伊賀上野の風情ある街並みをのんびりと歩いていると、突如として鮮やかな赤色に塗られた立派な門が目の前に現れます。これこそが、江戸時代に藩校として建てられた歴史ある史跡「旧崇広堂」の表門です。

旧崇広堂は、文政4年(1821年)に伊勢津藩の第10代藩主である藤堂高兌(とうどうたかさわ)によって創設されました。津藩の本拠地は津にありましたが、伊賀、大和、山城など各地にも広大な領地を所有していました。そのため、本拠地の津まで通うのが困難であった伊賀の地に住む藩士とその子弟たちに対し、質の高い教育を施すための文武の拠点として、この伊賀上野の地に藩校が設けられたのです。

現代の学校制度とは大きく異なり、当時の藩校においては、武士として身につけるべき学問(儒学をはじめとする教養)はもちろんのこと、剣術や槍術、弓術といった武芸の両面が厳しく教え込まれていました。文武両道を重んじ、将来の藩を支える大切な人材を育成するための総合教育機関であったわけです。

敷地の入口でまず出迎えてくれるのが、ひときわ強い視覚的なインパクトを与える「赤門」です。弁柄(べんがら)と呼ばれる赤色の塗料で鮮やかに仕上げられたこの門をくぐり抜けると、それまでの賑やかな街の雰囲気から一変し、まるで時間が止まったかのような静寂で心地よい空間が広がります。門をひとつ隔てるだけで、これほどまでに周囲の空気感がガラリと変わることに深く驚かされます。

かつて江戸時代の全盛期には、敷地全体で約1ヘクタールにも及ぶ広大な広さを誇り、講堂などを中心とした学問を修める「文場」と、武術の錬磨を行う「武道場」の大きく2つのエリアに分かれて構成されていたそうです。現在は文場を中心に、講堂、母屋、講師控室、生徒の寮であった有恒寮(ゆうこうりょう)など、当時の貴重な建築美を伝える建物群が大切に保存・公開されています。

安政の大地震を乗り越え、時代を超えて地域を支えた「学びの場」

旧崇広堂が辿ってきた歴史を深く紐解くと、幾多の大きな試練を乗り越えて現代に受け継がれてきたことがよく分かります。

特に大きな出来事が、安政元年(1854年)に発生した安政伊賀上野地震です。この大地震によって伊賀の地は甚大な被害を受け、旧崇広堂においても講堂を除く建物の大半が倒壊するという絶望的な状況に追い込まれました。しかし、地域教育の灯を絶やすまいとその後すぐに手厚い再建が行われ、引き続き藩校としての重要な機能を果たし続けました。そして明治維新という日本全体の大きな変革期を迎え、明治4年(1871年)の廃藩置県に至るまで、藩士の子弟たちの育成の場として大切に使われ続けたのです。

さらに興味深いのは、藩校としての役割を終えた明治以降の歩みです。明治時代に入ると新しい時代の学校施設として転用され、さらに明治38年(1905年)から昭和58年(1983年)までの約78年間という長きにわたり、地域の人々が集う公立図書館として幅広く利用されていました。

文政4年(1821年)の創設から現在に至るまで、江戸、明治、大正、昭和、平成、令和と時代がどれほど激しく移り変わろうとも、この場所はずっと変わることなく地域の「学び」と「知」を支え続けてきた歴史を持っています。時代を超えて受け継がれてきたその一貫した歴史の重みと存在感には、深い感銘を覚えざるを得ません。

凛とした静寂が包み込む広大な「講堂」と、時を超えた想像

敷地内の建物の中でも特に見応えがあり、空間としての魅力に満ちているのが中心に位置する「講堂」です。

私が訪れたこの日は、ちょうど地域イベントか何かの準備が行われていたタイミングであり、広々とした畳敷きの空間には数多くの座椅子が整然と並べられておりました。しかし、そうした現代の備品が置かれていてもなお、一歩足を踏み入れて静かに腰を下ろすと、ピンと張り詰めた独特の凛とした気品と佇まいが肌を通して伝わってきます。

かつてここで若き藩士の子弟たちが正座をし、講師の言葉に真剣に耳を傾けながら学問に励んでいた光景が、目の前にありありと浮かんでくるようです。静かな室内に佇んでいると、ここが単なる観光施設や歴史資料館という感覚は薄れ、今もなお200年前の時間がそのまま優しく残されているかのような、不思議で濃密なタイムスリップ感に包まれます。

伊賀上野の歴史がより立体的に見えてくる隠れた名所

伊賀上野という街を訪れる観光客の多くは、真っ先に圧巻の伊賀上野城や、全国的にも有名な忍者の歴史に目を向けるかもしれません。もちろんそれらも伊賀を象徴する素晴らしい見どころですが、歴史ある城下町を巡る旅においては、こうした「かつて人々が学び、暮らし、志を立てていた場所」にそっと立ち寄ることで、街全体の歴史や風土がより深く、立体的に見えてきます。

印象的な赤門をくぐり、趣ある木造の建物を眺めながら静かに歩いていると、約200年前の江戸時代にこの場所で未来を夢見ながら熱心に学問に励んでいた若者たちの姿が、ふと胸に浮かんできました。

周囲の有名な観光スポットに比べると比較的観光客は少なめで落ち着いていますが、伊賀に訪れた際には絶対に立ち寄っていただきたいと心からおすすめできる、私自身も心から気に入った特別な空間でした。

江戸時代の学問の場である旧崇広堂をたっぷりと堪能した後は、上野公園内へと向かい、公園内の散策を楽しみたいと思います。次回のブログでも伊賀の素晴らしいスポットをご紹介しますので、ぜひ楽しみにお待ちください!

所在地:旧崇広堂

〒518-0873 三重県伊賀市上野丸之内78−1

Follow me!