東照山 安楽寺 / 蟹江神明社:蟹江川沿いに佇む蟹江城の守護神 ( 愛知県海部郡蟹江町の旅 : 2024-05-03 )

 

蟹江町の旅のつづき。

日光川沿い、佐屋川沿いにつづき、今回は蟹江川沿いへやってきました。

 

東照山 安楽寺

蟹江川沿いを北に歩いていると、川沿いに、寺院と神社が隣接して現れたので、参拝させていただきました。

まずは、東照山 安楽寺。

 

 

東照山 安楽寺(真言宗智山派)とは

本尊 木造薬師如来立像

本尊薬師如来は弘仁年中(810~823)弘法大師が熱田神宮参詣の折、蟹江の浜辺に打ち寄せられた茶ノ木が霊木であると御加持御彫刻し本尊にされたと伝えられ、
その後、天暦年中(947~956)には、蟹江海濱の信俗などが力を合わせ七堂伽藍を建てたとの口伝えがあります。

また、蟹江城主代々の帰依や若干の荘園寄付もあり由緒ある霊場であったようです。天正12年(1584)蟹江合戦で、伽藍が焼き尽くされ、慶安3年(1650)に薬師堂と庫裡が再建され、秋葉堂が明和5年(1768)に現在地に移り、安置されました。

明治24年(1891)震災によって本堂庫裡などが大破し、明治33年(1900)に全部再建されました。

本尊薬師如来立像は、御丈1尺3寸。町の文化財に指定されています。

(引用元:蟹江町観光協会かになびより)

 

弘法大師さま?

 

蟹江神明社

蟹江神明社とは

永享年間(1429~1441)北条時任が蟹江城築城の際、城の本丸南の守護神として清洲から御薗神明社を迎えて祀りました。
天正12年(1584)蟹江合戦で兵火に遭い、すべてが焼失し、元和5年(1619)に社殿を再興しました。
江戸時代には、神明社の蟹江祭りが盛んで、享保2年(1717)当時の尾張藩主であった徳川継友が神明社の祭りを名古屋城へ招きました。近隣町村から総勢約2千人が宰領を先頭に、豪華な馬具で飾った「馬の塔」や華やかな衣装の「道おどり」などが行われたと言われています。
現在、毎月9月の最終土・日曜日に、神事や祈祷が行われます。また、祭屋形や祭囃子を神明社に奉納した後、蟹江本町の各町内を巡行します。
近年、道おどりが一部復活しました。

社伝によれば、北条時任の祖父、時行が海路台風に遭い、暗闇の中一条の太陽が射す奇跡により、一命をとりとめました。(南方記伝太平記)伊勢神宮のおかげと、天照大神を尊び敬っていたので、その孫、時任が城を築くにあたって、天照大神を祭神として神明社に祀ったと記されています。
その後、天正12年蟹江合戦で、全村焼失し、翌年の天正大地震で城は崩壊し氏子は離散、潅木が茂るに任されていました。
元和元年、徳川氏が天下を統一、蟹江の住民も氏神様を崇敬する心が戻り、神明社跡地の荒地を整備し、元和5年に社殿を再興した棟札があります。その後、享保2年、徳川通顕が蟹江祭りを名古屋城へ招待しました。
神明社は、蟹江本町地区の鎮守で、地域の安寧と五穀豊穣を願う神事が春秋行われます。
現在、伊勢神宮の払い下げの用材で、鳥居の修復が進められています。
毎年、大晦日から元旦にかけては「かがり火」を焚き、午前0時から神明社の拝殿では新年の祈祷があり、元旦の午前中は神酒が振舞われます。

(引用元:蟹江町観光協会かになびより)

蟹江神明社は、蟹江城の守護神。

江戸時代には、神明社の蟹江祭りが盛んで、現在も毎月9月の最終土・日曜日に、神事や祈祷が行われるそうです。

 

 

おまけ。

 

近くには、いなまん(いな饅頭)

法応寺

など、蟹江川沿いには魅力的なスポットがたくさんありました。

 

この後は、北へ進み、蟹江城址公園へ。

蟹江町の旅はつづく。

 

地図

〒497-0040 愛知県海部郡蟹江町城2丁目84

 

 

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