中山道・赤坂宿を歩く──江戸の記憶をたどる小さな宿場の物語(岐阜県大垣市の旅:2025-07-05)

 

中山道・赤坂宿(岐阜県大垣市)

美濃赤坂駅から旧街道へ

美濃赤坂駅を出ると、ここから中山道・赤坂宿へ向かう道のりは、わずか数百メートル。

駅を背にして養老赤坂線沿いの道を北へ歩きます。地方のローカル駅らしい落ち着いた雰囲気の中、のんびりとした住宅街を抜けていくと、少しずつ昔ながらの街並みが姿を現し始めます。

400メートルほど進むと、右手に「八幡神社」がみえてきます。鳥居をくぐると、境内は静寂に包まれ、地元の人々に守られ続けてきた小さな鎮守の森を抜けると、その先に「赤坂本陣公園」が見えてきます。

公園内には、「中山道赤坂宿本陣跡」が整備され、往時の面影を今に伝えています。

江戸時代、ここは大名や公家など身分の高い旅人の宿泊施設として設けられた場所で、間口24間4尺、敷地は2反6畝26歩、建物は約239坪もあったといいます。玄関や門構えは実に立派で、いかにも本陣らしい風格を誇っていたそうです。


文久元年(1861年)10月25日、皇女和宮が江戸に下る際、この赤坂本陣に宿泊したことでも知られています。今は石碑と案内板のみが残る静かな公園ですが、当時の賑わいを思うと、ここに立つだけで歴史の重みを感じます。

穏やかな空気が漂う赤坂本陣公園を後にし、私はそのまま中山道・赤坂宿の旧街道へと足を向けました。

旧清水家住宅で出会う、時を超えた町家の美

赤坂宿の通りを西へと歩いていくと、町並みが少しずつ昔の姿を取り戻していくような感覚になります。

道路脇には「赤坂宿」の名を記した石碑や案内板が整備され、歩くたびに「ここは宿場町だったんだな」と実感します。

やがて見えてくるのが、「旧清水家住宅」。赤坂宿のほぼ中央に位置する古い商家の建物で、享保15年(1730年)または安永4年(1775年)頃の建造と伝えられています。切妻造りの2階建て、軒の低い独特の造りが印象的です。北側には、明治13年(1880年)建造とされる土蔵があり、今も当時の墨書が残っています。

この建物は赤坂宿に現存する最古級の町屋遺構であり、建築様式や技法の面からも高い文化財的価値を持っています。現在は修復のうえ、地域住民によるまちづくり活動の拠点としても利用され、観光客にも公開されています。

私が訪れた日も、ちょうど地元の集まりが開かれており、笑い声が聞こえてきました。案内の方に声をかけると、「中、見ていかれますか?」と温かく迎えてくださり、建物の内部を見学させていただくことに。

土間から上がると、年季の入った柱や梁、昔ながらの格子窓が目に飛び込み、どこか懐かしい香りが漂います。建物の奥には小さな坪庭があり、柔らかな光が差し込む空間に、思わず時を忘れてしまいました。江戸時代の人々がここで商いをし、暮らしを営んでいたのだと思うと、まるでタイムスリップしたかのような感覚に包まれます。

地域の方々がこの建物を大切にし、現代の暮らしの中に歴史を溶け込ませている姿に、心から感動しました。

「お嫁入り普請」と皇女和宮──増田家住宅に見る時代の息づかい

旧清水家住宅を後にし、さらに中山道を西へ歩くと、「中山道赤坂宿脇本陣跡」の石碑が現れます。


「あれ? 本陣跡はさっきも見たはず…?」と一瞬戸惑いましたが、こちらは大名以外の身分の高い人々が宿泊した“脇本陣”の跡地。赤坂宿には、本陣と脇本陣の両方があったのです。宿場としての機能がそれだけ重要であったことが伺えます。

さらに進むと、「増田家住宅(お嫁入り普請探訪館)」に到着します。

外観からしてどこか特別な雰囲気を放っており、立派な二階建ての造りが目を引きます。
江戸時代末期の文久元年(1861年)、皇女和宮が徳川家茂に降嫁する際、総勢3万人もの大行列が江戸へと向かいました。その際、赤坂宿では和宮一行を迎えるため、中山道沿いにあった家々を建て直す「お嫁入り普請」が行われ、実に54軒もの家が新築・改修されたといいます。

この増田家住宅はその中の一つで、街道からの見栄えを良くするために「表だけ二階建て」という珍しい構造をしています。まさに“見せるための町家”といった造りで、当時の人々の気概を感じさせます。現在は、地元団体によって保存され、時期を定めて一般公開されています。

建物の内部には、和宮降嫁に関する資料のほか、私が特に心惹かれた「関ヶ原合戦の前日の東西両軍陣取り図」も展示されていました。

石田三成が大垣城に籠城した際、徳川軍はこの赤坂に本陣を構え、決戦に備えたと伝えられます。関ヶ原合戦当日の戦いはよく知られていますが、その前日、まさにこの地で両軍が対峙していたことを知り、胸が熱くなりました。歴史の舞台が今、自分の足元にある――そんな感覚を味わえる瞬間でした。

この後は、近くにある「お茶屋屋敷跡」へと足を延ばす予定です。かつて将軍専用の休泊施設として使われたというこの場所には、また新たな物語が待っています。
次回のブログでは、その「お茶屋屋敷跡」周辺の散策を中心にご紹介していきます。お楽しみに。

地図

〒503-2213 岐阜県大垣市赤坂町251−5

 

Follow me!