安土城跡【前編】石段の先に残る信長の記憶をたどって ( 滋賀県近江八幡市の旅 : 2025-09-27 )
安土城跡(滋賀県近江八幡市)
西の湖から、安土山へ
西の湖を後にし、レンタサイクルで東へ。

目指すは安土城跡。標高は約198メートルと聞くと低く感じますが、これから始まる登城を思うと、数字だけでは測れない重みがあることを、まだこの時点では知りませんでした。
西の湖からおよそ10分。田畑と住宅地の間を抜け、安土山の麓に到着します。
目の前に現れたのが、安土城跡の入口。そのすぐ脇には「城なび館」と呼ばれる観光案内所があり、売店や有料施設が併設されています。
大手道――城の表玄関
9月27日。暦の上では秋のはずですが、この日の気温は30度超え。
照りつける日差しは容赦なく、じっと立っているだけでも体力を奪われます。
城なび館の前で、ぐったりと動かなくなっているカマキリを見つけました。

よほど暑さが堪えたのでしょう。少しだけ水分を与え、日陰へ移動させてあげます。
人も虫も、なかなか過酷な季節が続きます。
ここでトイレを済ませ、いよいよ城跡へ。
安土城跡の敷地内には、有料施設である遠景山摠見寺を除き、トイレはありません。自動販売機もなく、屋内で休める施設もありません。
登城前に準備を整えておくことが、何より大切だと実感しました。
敷地内に入ると、すぐに現れるのが安土城の表玄関ともいえる「大手道」。
まっすぐに伸びる石段は圧倒的な存在感を放ち、これから始まる道のりを無言で示しています。
この大手道の左右には、かつて信長を支えた重臣たちの邸宅が並んでいました。
右手には前田利家邸跡、左手には羽柴秀吉邸跡。そしてその向かいには、現在の摠見寺仮本堂が建つ徳川家康邸跡。
名だたる人物たちの名を思い浮かべながら歩くと、この道が単なる通路ではなかったことが伝わってきます。
安土城跡とは
安土城跡は、織田信長が1576年から築城を始め、1579年に完成させた安土城の遺構が残る史跡です。
信長は、それまでの山城とは異なる壮麗な城を構想し、政治と宗教、軍事の拠点としてこの地を選びました。
特徴的なのは、城下町と一体化した構造と、直線的で威圧感のある大手道です。

石垣は全国各地から集められ、仏像や墓石といった石材も使用されました。
信仰の対象であった石仏をも築城資材とした点からは、既存の価値観にとらわれない信長の思想が感じられます。
安土城の天主は、外観七層・内部六階ともいわれ、金箔や極彩色で飾られた前代未聞の建築でした。
しかし、1582年の本能寺の変の直後に焼失し、現存していません。
現在は天主台や石段、曲輪跡が残り、国の特別史跡として保存されています。
過酷な登城の始まり
大手道の石段は、想像以上に急です。
入り口には「金剛杖(こんごうづえ)」と呼ばれる山登り用の杖が置かれていましたが、これは決して飾りではありません。
一歩踏み出した瞬間、その意味を理解しました。
結論から言うと、彦根城や犬山城、姫路城と比べても、天主跡までの道のりはかなり過酷です。
整備された城ではなく、あくまで城跡。足場は不均一で、勾配もきつい。
足腰に不安がある方は、無理をしない判断も必要だと感じました。
石仏が語る築城の現実
大手道の途中には、いくつもの石仏が見られます。

これらは、築城時に石材として使用されたもの。近郊の山々から集めた石だけでなく、石仏や墓石も含まれていました。
本来は信仰の対象であったものが、城を築くために使われた。
その事実は、信長という人物の決断力と時代の転換点を、静かに物語っています。
現在、出土した石仏は、発見当時の状態を保ったまま保存されています。
信忠、蘭丸の屋敷跡を越えて
さらに急な坂を登ると、織田信忠邸跡があります。

信忠は信長の長男として家督を継ぎ、武功を挙げた人物。本能寺の変では、父と運命を共にしました。
三叉路を右へ折れ、黒門跡へ向かう途中には、森蘭丸こと森成利邸跡。

若くして信長に仕え、側近として名を残した人物です。
彼らがこの場所で日常を過ごしていたと思うと、歴史が急に現実味を帯びてきます。
信長公廟所――静かな終着点
黒金門跡を越え、二の丸跡へ。
本能寺の変で亡くなった信長の遺骸は確認されていませんが、安土城を築いたこの地に、象徴的な廟所が設けられました。
正面には木造の門が建ち、扁額には「一品廟」と記されています。
これは、信長が朝廷から贈られた高位の官位に由来するものです。
門の手前に立つ石碑には、「風之廟」の文字。
形を残さずとも、その存在や思想は、風のように今も吹き続けている――。
そう語りかけられているようでした。
石段や天主台の迫力とは異なり、ここは祈りと向き合う場所。
多くの人が足を止め、静かに手を合わせる理由が、自然と理解できました。
ここから先はいよいよ天主跡、そして摠見寺跡へと向かいます。
信長が見たであろう景色が、山の上で待っています。
地図
〒521-1341 滋賀県近江八幡市安土町上豊浦
























