彦根城、天守から西の丸三重櫓へ──歴史が息づく石垣の道を歩く ( 滋賀県彦根市の旅 : 2025-04-28 )
彦根城天守 / 西の丸三重櫓及び続櫓 / 井戸曲輪(滋賀県彦根市)
天守内部へ──戦国の知恵に触れる空間
これまで表門から天秤櫓、太鼓門櫓、本丸、そして着見台と歩みを進めてきた彦根城の旅。今回はいよいよ、城の象徴である「天守」の内部へ足を踏み入れます。
天守に入ると、まず驚かされるのがその急勾配の階段。思わず手すりにしがみついてしまうような角度です。
なぜこれほど急なのか──そんな疑問が頭をよぎりますが、実はこれ、敵が簡単に上がってこられないようにするための戦略なのだとか。戦国時代、城は「住まい」であると同時に「要塞」。住みやすさよりも、守りの堅牢さが優先されたことがよく分かる構造です。
天守は三層構造になっており、それぞれの階層はこの急な階段でつながれています。内部は比較的コンパクトな造りで、展示品は少なめ。ですが、その分、壁に設けられた「狭間(さま)」や、実戦に備えた隠し部屋など、城の本来の役割を感じられる造りをじっくりと観察できます。
他の現存天守と比較すると、例えば犬山城のように天守最上階をぐるりと一周できる回縁がない点は少し残念。360度の眺望を楽しむことはできませんが、その分、本丸の着見台から美しい琵琶湖や彦根の町並みを一望することができますので、見晴らしを求めるならそちらで満足できるはずです。
西の丸へ──琵琶湖を望む三重櫓の風格
天守を見学し終え、次に向かうのは城の北西部に広がる「西の丸」。
彦根城内でも比較的平坦なこのエリアは、のびやかな空気が漂い、天守周辺の緊張感とはまた違った趣があります。
緑に包まれた庭園を横目に進みながら、150メートルほど歩くと、突き当たりに堂々と現れるのが「西の丸三重櫓(さんじゅうやぐら)」です。
この櫓は、北之取付多聞(たもん)と東之取付多聞の2棟の多聞櫓と連結されており、三棟すべてが現存建築物であり、国の重要文化財に指定されています。特に、北側の「山崎口」から攻められた際には、まずこの三重櫓と続櫓が立ちはだかることになっていたそうで、まさに防御の要の場所だったことがわかります。
「西の丸三重櫓は、小谷城の天守を移築したもの」という説もあるようですが、現在では建築技法などの調査により、彦根城築城時に新築されたものであることが確認されています。
櫓内部に入ってみると、やはり戦に備えた工夫が随所に見られます。特に印象的だったのは、右手の壁(城外側)のみが、人の背丈ほどの高さまで分厚い土壁で覆われている点。これは防御を考えた造りで、敵からの攻撃を受けにくくする工夫だそうです。
また、ここからの眺めは絶景。平時には琵琶湖を監視する役割も担っていたとされ、静かな湖面と遠くに広がる山並みを目にすると、かつての城主たちもこの風景を眺めていたのだろうかと、つい想像してしまいます。
黒門橋へ──城の水源を支えた井戸曲輪
西の丸三重櫓を堪能したあとは、東に向かって城の出口である黒門橋方面へと進みます。
下り坂を下っていくと、やがて「井戸曲輪(いどくるわ)」と呼ばれるエリアへ。
井戸曲輪とは、その名のとおり井戸や溜池など、水源を確保するための場所。戦において城内に立てこもる「籠城戦」が行われる際、飲み水の確保は生命線。井戸曲輪は、単なる水場ではなく、城を支える重要なインフラだったのです。
このエリアから見上げる高石垣がまた見事。高低差のある石垣に若葉が映え、視界も開けていて、まさに“絶景スポット”と呼ぶにふさわしい場所です。城巡りをしていて、これほど気持ちのいい眺めに出会える場所はなかなかありません。険しすぎず、どこかハイキング気分で楽しめるのも、このルートの魅力です。
井戸曲輪をあとにして歩くこと約10分、ついに黒門橋に到着しました。この橋は彦根城の東側に設けられた出入り口で、かつては武士たちが日常的に使用していたといわれています。橋のたもとに立つと、城の中とはまた違った静けさがあり、どこか名残惜しさすら感じます。
しかし、旅はまだ終わりではありません。この後は、すぐ近くにある「楽々園」や「玄宮園」など、自然を感じられる美しい庭園を巡ることにしています。歴史と静けさ、そして自然美が調和した彦根城エリアの旅は、まだまだ続きます。
地図
〒522-0061 滋賀県彦根市金亀町1−1
彦根城 公式HP:https://hikonecastle.com/index.html