歴史と静寂に包まれて──楽々園で感じた時の重なり ( 滋賀県彦根市の旅 : 2025-04-28 )
楽々園(滋賀県彦根市)
彦根城の北に広がる、もうひとつの静けさ──楽々園へ
彦根城の見学を終え、城の北側へと足を延ばすと、にわかに空気が変わったような静寂が訪れます。
目指すのは、旧彦根藩主の下屋敷「槻御殿」、現在は「楽々園」と呼ばれている場所です。
「黒門外屋敷」とも称されていたこの御殿は、井伊家の別邸として整備され、隣接する玄宮園とともに、彦根藩4代藩主・井伊直興により建立されました。
この地はもともと松原内湖に面した干拓地で、江戸初期には重臣・川手主水の屋敷があったとも伝わりますが、御殿と庭園の整備にあたり大規模な拡張が行われました。
藩庁である表御殿(現・彦根城博物館)をも上回る広さがあったというのは、今となっては想像の域ですが、それほどまでに格式高い場所だったことがうかがえます。
文化10年(1813年)、11代藩主・井伊直中の隠居に際し、この御殿は再び拡張され、現在の10倍ほどの規模にまでなりました。その際に建てられた「御書院」は、今日も往時の姿を残しており、ここから見渡す枯山水の庭園が、楽々園の核心といえる場所です。
枯山水の庭に溶け込む建物の風格
楽々園に足を踏み入れると、その静けさと落ち着きに心が整うのを感じます。
池や水辺といった華やかさはないものの、それがかえって空間全体の品格を際立たせていました。
芝と低木、点在する庭石と苔むした地面が織りなす庭は、静謐そのもの。過度な演出を排したその構成からは、武家の美意識と伝統が息づいているのを感じます。
その庭を見守るように建っているのが、「御書院」。
深く伸びた軒、まっすぐに続く縁側、その木組みの美しさと佇まいには、ただの古建築ではない凛とした存在感がありました。障子越しに差し込む光が、陰影を作り出し、庭の緑と建物の古色がやわらかく調和している光景には、息を呑みました。
庭の奥へと視線を向けると、「地震の間」「楽々の間」へと続く構造が見え隠れします。
地震の間は耐震性に優れた構造のためそう呼ばれていますが、もともとは茶の湯に用いられた「茶座敷」でした。
さらにその奥に増築された「楽々の間」は、12代藩主・井伊直亮により設けられた数寄屋造の建物。煎茶の茶室としても注目されており、楽々園の名の由来ともなった場所です。
一方、やや高台に建つ御茶座敷も印象的です。庭に向かって開かれた構えで、どの角度から眺めても庭と一体となるように設計されており、品のある茶席としての風情を漂わせています。
かつての藩主や賓客がこの場所で交わしたであろう静かな対話に、しばし想像をめぐらせたくなりました。
庭園内には、石灯籠や飛び石が程よいリズムで配されており、歩くたびに景色が柔らかく変化していきます。
派手な演出こそありませんが、その自然な変化と構成美が、逆に心を落ち着かせてくれます。歩いているだけで、次第に呼吸が深くなっていくのが分かる──そんな庭です。
また、楽々園は「開国の英傑」として知られる井伊直弼が生まれた場所でもあります。1815年10月29日、父・直中の14男としてこの御殿で誕生した彼が、後に幕末の歴史の中心に立つ存在になるとは。
この庭、この建物を見ながら、その始まりの地に立っているという感慨が、じわじわと胸に広がりました。
最後にもう一度、静けさに包まれた庭を振り返りながら、楽々園をあとにします。
すぐ隣には、楽々園と対をなす庭園「玄宮園」が広がっています。そちらの美しさについては、また次回のブログでご紹介したいと思います。
地図
〒522-0061 滋賀県彦根市金亀町3−41