江戸の宿場町へ〜新居宿旅籠紀伊国屋資料館 と 小松楼まちづくり交流館〜 ( 静岡県湖西市の旅 : 2025-04-19 )
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新居宿旅籠紀伊国屋資料館/小松楼まちづくり交流館(静岡県湖西市)
御用宿の面影を残す「旅籠紀伊国屋資料館」
静岡県湖西市にある「新居関跡」の大御門を抜け、東海道を西へと進むと、往時の面影を色濃く残す一軒の建物が見えてきます。それが、新居宿旅籠紀伊国屋資料館です。
江戸時代、新居宿には東海道を旅する人々のために20数件の旅籠が軒を連ねていたといいます。その中でも紀伊国屋は、特別な役割を担っていた宿。紀州藩、すなわち徳川御三家の一つ・和歌山藩の御用宿として、幕府関係者や上級武士たちをもてなしていました。
創業の詳細は不明ながら、主人が紀州の出身で、江戸初期に茶屋を営んだことが始まりとされ、やがて旅籠として発展。元禄16年(1703年)には紀州藩の御用宿となり、「紀伊国屋」の屋号を掲げることに。戦後まで約250年にわたり、旅人を迎えてきた歴史を誇ります。
現在の建物は明治初期に再建されたものですが、随所に江戸の建築様式が残されており、2001年に行われた解体修理によって、往時の雰囲気が丁寧に復元されています。
建物内を歩くと、柱や梁に時代の重みが感じられ、静かな空気に包まれます。
とりわけ印象的だったのは、2階の客間。畳が一面に敷かれた落ち着いた空間からは、東海道の街道筋を見下ろすことができ、美しい庭園も望める設えが、今も旅人を癒してくれるようです。
展示されていた夕食の復元模型には、秘伝のタレを使ったうなぎの蒲焼もあり、かつては街道の名物料理として評判だったとか。静かな旅籠で味わう蒲焼…その情景を想像するだけで、心が温かくなりました。
歓楽街の記憶を刻む「小松楼まちづくり交流館」
紀伊国屋資料館を後にし、向かったのは小松楼まちづくり交流館。新居宿のもうひとつの顔ともいえる場所です。
明治以降、新居関所周辺は官公庁街へと変貌を遂げましたが、南に位置する俵町や船町一帯は、明治末から昭和初期にかけて歓楽街として大いに賑わった地域でした。
芸者置屋は最盛期に11軒、芸者は50人以上いたといい、漁業や製糸業、養鰻業が盛んだった新居の人々が集う華やかな街だったようです。その中でも一際存在感を放っていたのが「小松楼」。
小松楼は、大正初め頃に置屋兼小料理屋として開業。元々は旅籠紀伊国屋のすぐ南側にあった平屋建ての建物を移築し、その後2階を増築。家族や芸者衆の増加に合わせて奥座敷も拡張されていきました。
芸者置屋をやめた後は間貸しや住居として使われていたため、明治〜平成までの生活の跡が積み重なったユニークな建物に。
平成22年には耐震補強が施され、地域交流の拠点「まちづくり交流館」として再出発しました。
歩いていると、通路の床がガタガタと微妙に傾いている箇所もあり、これも当時の増改築の名残。家の中を歩くだけでも、時代ごとの変化が伝わってきます。
江戸と明治の時を歩く、静かな感動
今回の旅では、江戸時代の東海道と、明治〜昭和の歓楽街という、異なる時代の新居の顔を歩いてきました。どちらも、その場所に息づく人々の暮らしが垣間見える、貴重な時間でした。関所の厳しさのなかにあるもてなしの宿、そして町のにぎわいを支えた置屋。どちらも、時代とともに役割を終えながらも、その建物は語りかけてくるものがありました。
今回の旅は、その時代に生きた人々の息づかいや記憶に触れる時間だったと感じます。
地図・アクセス
〒431-0302 静岡県湖西市新居町新居1280−1