津城跡:続日本100名城の一つ ( 三重県津市の旅 : 2024-02-10 )

津城跡:続日本100名城の一つ

 

2/10は、三重県津市内をぶらり散歩。

近鉄 津駅および津新町駅周辺を散歩してきましたので、津市の魅力をご紹介できればと思います。

今回は、津城跡について紹介しますね。

 

津城跡

津城跡とは

織田信包(信長の弟)が天正8年(1580)に津城を創築。
以後、 津は城下町として発展してきました。本丸を中心に出丸を置き、幾筋かの河流を城の外堀に取り入れたもので、 低湿地ながら防御には堅固な城でした。
その後、藤堂高虎が四国伊予の今治(愛媛県)から移封、 慶長16年(1611)に大規模な改修を行い、北側の石塁を高く積み直し、その東北と西北の両すみに三重の櫓をつくりました。
また、城の周囲に武家屋敷をつくる一方で、伊予から連れてきた町人たちを岩田川の南に住まわせて、 伊予町をつくりました。
さらに高虎は、参宮街道を城下に引き入れたり、城の東に堀川を切り開いたりして津の基礎づくりを行いました。 2代藩主高次はそれをもとに城下を整備、明治維新まで津は32万石の城下町として栄えてきました。
明治になっても町はほとんど旧城下町のままでしたが、明治の終わり頃になって外堀が埋められ、 新しい道や町が作られるようになってきました。
現在では、本丸・西の丸・内堀の一部を残すのみとなりましたが、 復興された角櫓の三層の白壁に老松がはえ、苔むす石垣とともに昔を偲ぶことができます。
※藤堂高虎像もあります。

(引用元: 観光三重サイトより)

 

明治時代に廃城令が出され津城は取り壊されることになり、現在、城自体は残っておらず跡地があるのみ。

 

模擬隅櫓(三重櫓)

何も知らずにみたら、本丸・天守と勘違いするような素敵な三重櫓。

昭和33年、コンクリート製の模擬隅櫓(三重櫓)として復元されたそうです。

ただし、旧来の丑寅櫓とは場所も形も全く異なっており、史実を無視した観光用の模擬櫓であるため、お城好きにはあまり好まれていないそうです。

お城に罪はなし。かわいそう。

 

それでは本丸跡に向かいます。

 

本丸跡と藤堂高虎公の銅像

 

 

入徳門

 

 

お城の隣には、美味しそうなお店もありました。また来た際は寄ってみようかな。

 

このあとは、津城のお隣にある高山神社へ。

次の記事へ。つづく。

 

◆地図・アクセス

〒514-0033 三重県津市丸之内33−5

 

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