秀吉ゆかりの地「墨俣一夜城(大垣市墨俣歴史資料館)」【後編】 ( 岐阜県大垣市の旅 : 2025-03-29 )

 

墨俣一夜城(大垣市墨俣歴史資料館)【後編】

前編では、岐阜駅からのアクセスや周辺散策の様子、そして「墨俣一夜城」への道のりをお届けしました。

後編では、いよいよその内部、すなわち「大垣市墨俣歴史資料館」として再建されたお城の中へ。

戦国の世を駆け抜けた一人の武将、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)の伝説と実像にふれていきます。

一夜城に隠された秀吉の知略と工夫

城内に入って、ぜひみていただきたいのが、映像展示。

豊臣秀吉の人生と、墨俣一夜城築城の背景が、わかりやすく紹介されています。

昭和52年に愛知県江南市の旧家・前野家に伝わる古文書の中から、当時の築城に関する貴重な記録が発見されました。

この「前野家古文書」により、秀吉がどのようにして一夜城を築いたか、その全貌が少しずつ明らかになってきたのです。

展示では、この文書の内容をもとに、豊臣秀吉がどのように築城計画を立てたのかを詳細に再現。

特に注目すべきは、現在で言うところの「プレハブ工法」を駆使した点です。

つまり、砦に必要な木材や部材を事前に別の場所で加工し、川を使って一気に運搬。

それを現地で短期間のうちに組み立てるという、まさに現代にも通じる合理的な手法です。

また、展示には「木柵」や「馬柵」「鹿垣(ししがき)」などの防御策の模型もあり、秀吉がいかに敵の奇襲を警戒し、万全を期したかが伝わってきます。

これをわずか7日で、しかも500人程度の兵力で実現したというのだから驚きです。

失敗を繰り返した名将たちと、成功を掴んだ藤吉郎

一夜城伝説において、墨俣に砦を築こうとしたのは秀吉だけではありません。

最初に挑んだのは織田家の重臣・佐久間信盛。

3,000人の兵と60日という期間で挑戦するも、斎藤勢の攻撃を受けて未完成のまま撤退。

その後を継いだのが、これまた名将として名高い柴田勝家。

彼も5,000人を率いて挑戦しますが、またしても完成間近で敵に襲われ、計画は頓挫してしまいます。

そんな中、名乗りを上げたのが当時まだ無名の存在であった木下藤吉郎。

人数も期間も半分以下の計画に、最初は誰もが耳を疑ったことでしょう。しかし、藤吉郎には勝算がありました。

彼はすでに野武士・蜂須賀小六の協力を得て、山中で伐採・加工した木材を上流に用意。

斎藤勢が油断して動かぬうちに一気に作業を進めることで、見事に砦を完成させたのです。

この知略と行動力が、織田信長の目に留まり、藤吉郎(秀吉)の出世街道が始まった――まさに「太閤出世物語」の原点がここ、墨俣にあるのです。

天守からの絶景と、過去との邂逅

展示を見終えた後は、最上階の天守展望台へ。

ここからは、犀川や長良川の清流を一望できます。

遠くには岐阜城も姿を見せ、まさに戦国の将たちがこの地で戦略を巡らせたであろう風景が広がります。

秀吉や信長もこの場所から敵の動向を見定め、作戦を練ったのではないかと推察されます。

風が吹き抜ける展望台で、目を閉じれば、かつての兵たちのざわめきや、砦が完成した瞬間の歓声が聞こえてきそうな錯覚に陥ります。

公園内には戦国の名残が随所に

城を出て、公園内を北へ歩くと、当時の砦防御策を模した「馬柵」の再現模型が目に入りました。

案内板には、斎藤勢の騎馬隊に備えて、城の周囲に約1800間(約3.2km)の柵が二重にめぐらされていたことが記されています。

これがわずか数日で築かれたと考えると、やはり常人の発想ではありません。

さらに奥には、「豊国神社」が鎮座しており、豊臣秀吉を祀っています。

今回の旅の終わりに、秀吉公の功績に敬意を表して参拝。

ここまで築城や出世に人生を賭けた一人の人間の物語を見てきた後だけに、感慨もひとしおでした。

歴史と向き合う贅沢な時間

現在の墨俣には、当時の城郭遺構は残っていません。

河川改修により、かつての砦跡は川底に沈んでしまったからです。

しかし、地域の人々の手によって整備された「墨俣一夜城址公園」と、そこに建つ歴史資料館は、かつての秀吉の偉業を現代に伝える大切な存在となっています。

また、子どもたちが遊べる小川や広場、庭園なども整備されており、歴史に触れながらもリラックスした時間を過ごせる場所でもあります。

「一夜で築いた城」という、信じがたい逸話から始まる墨俣一夜城の旅。

しかし、それはただの伝説ではなく、秀吉という人物の「知略」「行動力」「準備力」が詰まった物語でした。

歴史というと堅苦しく感じられるかもしれませんが、現地でその空気を吸い、資料を読み、風景を眺めると、それはとても人間味に溢れた物語であることが分かります。

この旅は、ただの観光ではなく、「挑戦することの大切さ」を教えてくれたように思います。

秀吉が一夜で夢を形にしたように、私たちも小さな準備と工夫次第で、大きな一歩を踏み出せるのかもしれません。

歴史に触れ、自然に癒され、人の生き方に学ぶ――そんな時間を求めて、次はどんな地を訪れようか。

また一つ、心に残る旅となりました。

<おまけ>

岐阜駅に戻って、駅ビル内のActive-Gのお店「東京とんかつ キララ」で、豚しゃぶをゲット。

大変おいしゅうございました!

墨俣の旅、おしまい。

◆地図・アクセス

〒503-0102 岐阜県大垣市墨俣町墨俣1742−1

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