美濃赤坂駅を再訪──約15年ぶりの静かな終着駅に佇む(岐阜県大垣市の旅:2025-07-05)

 

美濃赤坂駅(岐阜県大垣市)

大垣駅から小さな終着駅へ

今回の旅の出発点は岐阜県の大垣駅です。

樽見鉄道や養老鉄道への乗り換えも可能な駅ですが、今回はJR線の旅としてここからスタートします。普段は、1番線や2番線から米原方面へ向かったり、1番線や5番線から豊橋方面に戻ったりと、日常的に利用している大垣駅のホーム。しかし今回は、少し趣向を変え、3番線から美濃赤坂駅に向かうことにしました。

「美濃赤坂駅?」
そう思われる方も多いかもしれません。
美濃赤坂駅は、1時間に1本しか列車が運行されず、途中停車駅も荒尾駅のみという小規模な路線の終点です。そのため、大垣駅構内でも最も端にホームがあり、改札口からは少し歩く必要があります。端に停車する小さな電車は、どこか申し訳なさそうで、つい愛着を感じてしまいます。

実は私自身、この駅を訪れるのは15年ぶり。以前訪れた際には、駅近くにある金生山明星輪寺を訪れた記憶がありますが、当時の詳細はほとんど覚えていません。そのため今回の訪問は、まさに“記憶をたどる旅”ともいえます。

12時51分、列車は大垣駅を静かに出発。西へ進んだ後、北に進路を変え、静かな住宅街を横目に約10分。

あっという間に終点、美濃赤坂駅に到着しました。短い距離ですが、車窓から見える住宅街や工場の姿は、普段の都会の景色とは異なり、旅の期待を高めてくれます。

静けさの中のホームと列車

駅に降り立つと、まず目に入るのはシンプルなホームです。美濃赤坂駅は、単式ホーム1面1線の地上駅で、旅客列車はこの1線のみが使用されます。ホームの端から端まで歩くと、列車が静かに停車している姿が目に入り、どこか申し訳なさそうな愛らしさを感じます。

ホームを眺めた後は、駅舎を見て回ります。美濃赤坂駅の駅舎は、1919年(大正8年)の開業当時からほぼ原型を留める木造建築です。小規模ながら端正な姿で構内の端に佇み、周囲の広大な貨物線やヤードと対比されることで、静かな存在感を放っています。

かつて有人駅であった名残として、窓口跡やベンチはそのまま残され、駅舎の歴史を肌で感じることができます。旅客用の小さな待合スペースでありながら、開業から100年以上の時間を経た木造建築の温かみが感じられ、訪れる人にほっとする空気を提供しています。

貨物線と歴史に触れる

駅舎の背後には広大な貨物ヤードが広がります。美濃赤坂駅はJR貨物のターミナルとしての役割も持ち、太平洋セメント美濃赤坂専用線が併設されています。ここからは石灰石を積んだ貨物列車が東海道本線へ向けて発車していきます。旅客列車の発着は1線のみですが、駅構内全体は貨物線によって広がりを持ち、かつての産業輸送の賑わいを感じさせます。現在も現役の専用線で、駅構内の広大なヤードは石灰石輸送の名残として、当時の風景を想像させてくれます。

さらに歴史をたどると、美濃赤坂駅は戦前から重要な石灰石輸送の拠点でした。金生山一帯で採掘される石灰石を運ぶための貨物線は、駅から山のふもとにある金生山石灰工場まで続いていました。旅客列車は運行されず、完全に貨物専用線です。このため駅構内は旅客用1線のみでありながら、広大なヤードを持つ特殊な構造となっています。

ちなみに、明治から大正期には「中山道線(赤坂線)」の構想もあったそうです。

美濃赤坂から関ヶ原を経て中津川方面へ抜ける幹線を整備する計画があり、路盤の一部も造られました。しかし全線開通には至らず計画は中止され、現在も美濃赤坂駅は支線の終着駅のままです。もしこの計画が実現していたなら、駅の賑わいも今とは大きく異なっていたでしょう。この静けさの中に秘められた「もしも」の歴史に思いを馳せるのも、訪問の楽しみのひとつですね。

15年ぶりの再訪は、過去の記憶の薄れを補う新たな発見の連続でした。駅に立ち、ホームと駅舎を眺めるだけで、時代を超えた趣や地域の産業の息吹を感じることができます。静かな貨物線、端正な木造駅舎、そして短いながらも風景の移ろいを楽しめる車窓――すべてがこの駅の魅力です。

次回のブログでは、美濃赤坂駅周辺の街歩きや駅近くの景観の様子を紹介する予定です。お楽しみに。

地図

〒503-2213 岐阜県大垣市赤坂町

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