蟹江城址公園: 蟹江合戦の地( 愛知県海部郡蟹江町の旅 : 2024-05-03 )
蟹江町の旅のつづき。
蟹江城址公園
織田信雄・徳川家康連合軍と羽柴秀吉軍配下の滝川一益軍との戦いとして有名な”蟹江合戦”の地こそ、蟹江城。
気になってその跡地に訪れることにしました。
蟹江城址公園とは
蟹江城は1429年頃(永享年間),北条時任(ときとう)が城塞を築いたのが初めと言われ,戦国時代には,本丸,二の丸,三の丸の三郭(さんかく)があり,大野・下市場,前田の三つの支城があった。しかし,1584年(天正12)に起きた蟹江合戦と翌年の大地震で壊滅し,現在は城址の石碑と本丸井戸が残る公園となっている。
蟹江城を中心にして起きた蟹江合戦とは,長久手の戦いで徳川家康に大敗を喫した羽柴秀吉の雪辱戦であり,尾張における制海権を確保し,織田信雄と家康の間を離反させるための戦いであった。滝川一益(かずます)を主将に九鬼(くき)水軍を伴い,蟹江城主佐久間正勝(まさかつ)の留守をあずかった前田長定(ながさだ)の内応により無事入城し,成功するように思えた作戦であったが,大野城主山口重政(しげまさ)は助力を拒み,城内では鈴木重安・重治兄弟らの抵抗に遭い,徳川・織田連合軍の反撃により,秀吉は敗退した。これ以後,秀吉は武力をもって家康を屈服させることを断念し,謀略戦に転ずる決意をした戦いであった。
(引用元:蟹江町観光協会かになびより)
現在は小さな公園には、石碑しか残っておらず。
蟹江城の面影がまったくない平地。
ものの数分で見学終了。
本丸井戸跡が公園から西へ30mのところにあるそうなので、気になる方はぜひチェックしてみてください。
蟹江町の旅はつづく・・・。
地図
〒497-0040 愛知県海部郡蟹江町城1丁目111