金崎宮:難関突破・恋の宮 ( 福井県敦賀市の旅 : 2024-07-22 )

 

金崎宮 (福井県敦賀市)

敦賀の旅のつづき。

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敦賀赤レンガ倉庫でしばし休憩した後は、金ヶ崎城跡方面に進むことにしました。

金ヶ崎城は、織田信長が1570年朝倉氏を攻め落としたお城。

しかし、金ヶ崎城を落とした信長は、長政に嫁いでいた妹の市から、小豆を入れた袋の両方を紐で結んだものを届けられ、近江浅井氏の裏切りを知り、挟み撃ちを恐れ利家らを連れ退却しました。このとき殿軍を務めたのが豊臣秀吉で、「金ヶ崎の退き口」と称されるほど、見事な撤退作戦を行ったといわれています。(引用元:金崎宮HPより)

 

今回は、金ヶ崎城跡に向かう途中にあった”金崎宮”についてご紹介できればと思います。

 

金崎宮とは

金ヶ崎城址の麓にある神社で、約400本のソメイヨシノがあり桜の名所として知られています。4月1日~15日には神事・花換まつりが行われます。

織田信長が朝倉攻めの折り、信長の妹お市は、信長が浅井・朝倉両軍に挟まれ窮地に陥ったことを知らせるため、両方を紐で結んだ袋に小豆を入れ陣中に届けたそうです。それを察した信長は後に近江姉川にて浅井・朝倉軍を破ることができたそうです。これにちなんで金崎宮で授与されるお守りや絵馬には、両端を結んだ袋の形をしたものがあります。

明治時代、金崎宮へ桜見物に訪れた男女が「花換えましょう」と声をかけあい、桜の小枝を交換することで思いを伝えたそうです。「花換え」をしたカップルは将来幸せに恵まれるといわれ、いつしか金崎宮は「恋の宮」と呼ばれるようになりました。今でも桜の季節のみならず良縁を願う若者が大勢訪れています。

(引用元:敦賀観光協会HPより)

 

旧敦賀港駅跡地から参道が続いており、150まる階段をのぼったところにある神社。

金崎宮への階段を上り始めてまもなく右手には、愛宕神社の鳥居が見えてきます。

古くから愛宕大権現と尊称し、地方の郷土の崇拝があつく、火防の神と崇め、領土酒井藩・松平福井藩よりも社殿の造営には寄進あったとされているそうです。

 

 

金崎宮は恋の宮と言われていることもあり、金崎宮の福娘として生まれたイメージキャラクター「香恋(カレン)ちゃん」がたくさん。

名前の由来は「恋が香るお宮さんの娘」として名付けられましたそうです。

 

参道を上って右側には社務所があり、お守りなどが置いてあります。
隣には休憩所もありますよ。

 

境内からの眺めもいい感じ。まぁその分・・・汗だく(⌒-⌒; )

 

御本殿

明治二十六年三月十三日竣工、当時は現在の本殿より上の所にあったが、同三十六年三月二十八日夜、町内よりの出火により本殿以下三棟を焼失、同三十九年四月正還宮再建された、この時御本殿は現在の地に移され、建築様式も流造より神明造と改められた。(引用元:金崎宮公式サイトより)

 

「香恋(カレン)ちゃん」の恋みくじを引いてみました(笑)結果はご想像におまかせします。

 

金ヶ崎の戦いについては境内にも詳細説明があります。ぜひ一読を。

 

このあとは、金ヶ崎城址へ。

敦賀の旅はまだまだつづく。

 

◆地図・アクセス

〒914-0072 福井県敦賀市金ケ崎町1−4

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