静寂と物語が息づく寺 ― 養源院:浅井長政の菩提寺/血天井/猫ちゃん ( 京都府京都市の旅 : 2025-05-23 )
養源院(京都府京都市)
京都国立博物館を後にし、次に向かったのは、ほど近くに佇む「養源院」。
三十三間堂のお隣にある寺院で、外観は静かで控えめながら、その歴史は驚くほど深く、訪れる人を独特の空気感で包み込みます。
正門へ向かうと、まず目に飛び込んでくるのが「血天井」という三文字。
歴史好きなら「おっ」と身を乗り出す言葉かもしれませんが、初めて聞く人には少し物騒に響くかもしれません。
養源院(ようげんいん)は文禄3年(1594年)、豊臣秀吉の側室・淀殿が、父である浅井長政の菩提を弔うために創建した寺院です。長政の戒名「養源院」がそのまま寺名となり、以来、多くの歴史の証人となってきました。
しかし、寺は一度焼失。その後、元和7年(1621年)、徳川秀忠の正室であり、浅井三姉妹の末妹としても知られる崇源院(お江)が、伏見城の遺構を移築して再建しました。以降、徳川将軍家の菩提寺としての役割を担い続けています。
この伏見城といえば、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い直前、石田三成軍の攻撃を受けて落城し、多くの家臣たちが自害した悲劇の舞台。その際、廊下の板には壮絶な血痕が染み込み、それが後に養源院の本堂の天井として使われた――これが「血天井」の由来です。天井を見上げると、人の手形や足跡のような形がうっすらと残り、ただの伝説ではないことを静かに物語ります。
猫が迎える平和な境内
そんな重い歴史を抱えた養源院ですが、正門をくぐった瞬間、私の心は思わぬ方向にほぐされました。
カギしっぽの茶トラ猫ちゃんが、まるで番猫のように鎮座していたのです。
「おや、いらっしゃい」とでも言うかのような穏やかな表情。思わず足を止めました。
猫の柔らかな毛並みと、夏の日差しの下で伸びをする仕草に、さっきまでの「血天井」という言葉の緊張感がすっかり和らいでいきます。
さらに本堂へ向かう途中、境内の一角で参拝をしていると、もう一匹の猫ちゃん発見。
今度は黒猫が、毘沙門天さまの足元でお昼寝中。
小さな鼻息を立てて眠る姿は、歴史の重みとは無縁のようで、「ああ、なんて平和なんだろう」としみじみ感じました。
外の道路は観光客と車の往来で賑わっているのに、門を一歩入れば時間がゆったりと流れる――養源院は、そんな不思議な空気をまとっています。
本堂で触れる、宗達の世界
さて、境内を一通り味わった後はいよいよ本堂へ。
内部は撮影禁止ですが、養源院の公式サイトには展示品の写真が掲載されているので、事前や事後にチェックすると理解が深まります。
見学は観光客向けに丁寧な解説付きで行われます。3部屋のみの構成ですが、解説が非常に詳細なので、タイミングによっては20分以上じっくり案内されることも。急ぎ足で回りたい方には少し不向きかもしれません。
最初に案内されるのは、もちろん「血天井」。解説では伏見城の落城時の様子や、そこに至るまでの経緯が語られ、天井を見上げながら聞くと、歴史の重みが肌に迫ります。
個人的に心を奪われたのは、客殿の杉戸に描かれた俵屋宗達の『白象図』。
白くやわらかな体躯の象が、墨線の力強さと大胆な構図によって、閉じられた空間の中からも迫ってくるような存在感を放っています。表情は穏やかで、宗達らしい遊び心と気品が同居しています。
同じく宗達筆の『唐獅子図』や『麒麟図』も迫力満点で、金箔の背景が室内を明るく照らすよう。さらに襖の“松の間”には、現存する唯一の『岩に老松図』が描かれ、宗達の筆が生む生命感をじっくり味わえます。
歴史と日常が交差する場所
養源院は、歴史好きにとっては伏見城とのつながりや宗達作品を堪能できる場であり、猫好きにとっては癒やしのオアシスでもあります。
庭を歩けば、遠くから風鈴の音が微かに聞こえ、夏草の香りとともに心が落ち着きます。
ただし注意点もいくつか。
見学は案内付きで時間がかかるため、スケジュールに余裕を持つこと。
また、バリアフリー対応ではないため、足が不自由な方は玄関までしか進めない場合があります。
それでも、この場所にはわざわざ足を運ぶだけの価値があります。
歴史の重みを持つ「血天井」を見上げ、宗達の作品に心を奪われ、そして猫ちゃんの温もりに癒される――そんな体験ができるのは、きっと養源院だけでしょう。
次に京都を訪れるときも、またふらりと立ち寄りたいと思える、忘れがたい時間でした。
住所 / 地図
〒605-0941 京都府京都市東山区三十三間堂廻り656