絵かきの町:大王町 / 大王崎灯台 【後編】 ( 三重県志摩市の旅 : 2024-01-27 )
絵かきの町:大王町 / 大王崎灯台【後編】
志摩市の鵜方駅を中心に、1/27, 1/28, 2/3の3日間、志摩市を中心とした伊勢志摩エリア観光をしました。
ここでは、大王崎灯台周辺の様子をご紹介。
今回は後編になります。
灯台おみやげ通り〜宝門の浜
大王町とは
大王町は、まちなみや灯台などのロケーションを目当てに、絵かきさんがたくさん訪れることから、“絵かきの町”と呼ばれています。
大王町には、絵になる風景だけでなく、映画ロケもたくさん行われていることでも有名です。波切の港と魚市場の裏手の高台を結ぶ石段の坂は「産屋坂(おびやざか)」と呼ばれ、坂道の多い波切でも特に古いまち並みと石垣が落ち着きを感じます。
(引用元: 伊勢志摩観光ナビ より)
大王崎灯台からの絶景を楽しんだわけですが、このあとは、宝門の浜に向かい歩くことにしました。
灯台から宝門の浜までの道沿いには、昔ながらのお土産屋が立ち並ぶのです。
道の途中には、波切九鬼城址・八幡さん公園があり、大王崎灯台の撮影スポットとして最適なので、必見ですよ!
真冬ということで、そもそも観光客がいない季節ということもあり、おやすみしているお店や、無人店舗が目立っておりました。
私が小さい頃は、夏場に来たということもありますが、観光客がもっと多く、活気があったのですが、こればっかりはなかなか難しいですよね。
宝門の浜は、家族で歩いていた思い出が深い場所。
今も変わらず素敵な場所でした。
波切九鬼城址・八幡さん公園
波切九鬼城址・八幡さん公園とは
大王崎の西側一帯が八幡さん公園。地元で「八幡さん」と呼ばれる八幡社が建っているのが名の由来。八幡社は海上安全にご利益があり、地元の漁民などから信仰を集めますが、この八幡社周辺は日の出、夕景の国内有数の人気撮影ポイント。「絵かきの町」大王町で、スケッチする姿を描いた銅像もあり、ここが大王崎一のビューポイントです。
一帯は戦国時代、九鬼一族(くきいちぞく)が波切城(なきりじょう)を築き、九鬼水軍の拠点となったところ。
後に織田信長や豊臣秀吉に仕え、熊野水軍の名を世に轟かせた九鬼嘉隆(くきよしたか)は、第5代波切城主・九鬼定隆の子として、ここ波切城で生まれています。九鬼嘉隆は、1574(天正2)年、信長が伊勢長島の一向一揆を鎮圧する際、九鬼水軍で支援しています。
石山本願寺に与した毛利水軍に敗れた際には、信長の命で「伊勢浦の大船」と呼ばれた鉄甲船を造船しています。
1585(天正13)年には鳥羽城を築城。
水軍を率いる大名として豊臣政権を支えました。(引用元:ニッポン旅マガジン より)
八幡さん公園からの大王崎灯台と、熊野灘と太平洋を一望する絶景。
大人になった今でも心動かされる感動を味わえることができました。
最高!絶対にまた来る。
この後は、漁港近くまで戻り、波切神社に向かうことにしました。
波切神社・崎山公園
波切神社とは、わらじ祭りで知られる神社。
毎年9月の「わらじ祭」は大きなわらじを舞台で曳いた後に浜から流す祭りで、「波切のわらじ曳き」として三重県の無形民俗文化財に指定されている。
沖に浮かぶ大王島にいたダンダラボーシの悪行に困り、村人あるいは韋夜神が知恵を絞り「村にも大男がいるぞ」と大きなわらじなどを作ったところ、それを見たダンダラボーシが驚いて逃げ去ったという伝承に由来するとされる。
(引用元:Wikipedia より)
波切神社の裏手に、崎山公園という景色が良い公園があるようなので、さらに奥へ。
林を抜けると、広い芝生広場で覆われた崎山公園に辿り着きました。
大王崎波切漁港の様子がよく見え、これまた絶景。
この場所は、子供の頃、訪れてはなかったので、新たなお気に入りスポットになりました。
大王町の旅もそろそろ終わり。
旅の唯一の心残りは、昔、父が絵を描いていた高台を探していたのですが、それっぽい場所がみつかりそうでみつけれなかったこと。
もっと上の方に行けば見つけれたと思いますが、バスのお時間となり、撤収。
次回訪れた際は、父が絵を描いたエリアである、さらに高台からの大王崎の景色を眺めてみようと思います。
今回、伊勢志摩に来た最大の理由は、懐かしの大王町 / 大王崎灯台に来ること。
子供の頃の思い出の場に、また訪れることができて、本当に本当に感動しました。
自分も元気なうちに、また何度か訪れようと思います。
大好きな町。
地図・住所
〒517-0603 三重県志摩市大王町波切54