旧敦賀港駅ランプ小屋:列車の灯火に使用されるカンテラの燃料を保管する油庫 ( 福井県敦賀市の旅 : 2024-07-22 )
旧敦賀港駅ランプ小屋 (福井県敦賀市)
敦賀の旅のつづき。
敦賀赤レンガ倉庫でしばし休憩した後は、金ヶ崎城跡方面に進むことにしました。
金ヶ崎城は、織田信長が1570年朝倉氏を攻め落としたお城。
しかし、金ヶ崎城を落とした信長は、長政に嫁いでいた妹の市から、小豆を入れた袋の両方を紐で結んだものを届けられ、近江浅井氏の裏切りを知り、挟み撃ちを恐れ利家らを連れ退却しました。このとき殿軍を務めたのが豊臣秀吉で、「金ヶ崎の退き口」と称されるほど、見事な撤退作戦を行ったといわれています。(引用元:金崎宮HPより)
敦賀赤レンガ倉庫から金ヶ崎城跡に進むには、敦賀赤レンガ倉庫を裏に抜け、北側にある旧敦賀港駅に向かう必要があります。
今回は、金ヶ崎城跡に向かう途中にあった”旧敦賀港駅ランプ小屋”についてご紹介できればと思います。
旧敦賀港駅ランプ小屋
旧敦賀港駅ランプ小屋とは
敦賀港駅は当初金ヶ崎駅と呼ばれていました。明治末期から昭和初期にかけて欧亜国際列車が運行され、ここからウラジオストク航路に乗り継ぎ、遥か欧州を目指す人や荷物で賑わっていた場所です。ランプ小屋は、列車の灯火に使用されるカンテラの燃料を保管する油庫として、かつては主要な駅に一般的に存在したものです。しかし光源が電灯に変わるなどして、その用途が消滅すると、駅の増改築などで急速にその姿を消していきました。
ランプ小屋は1882年(明治15年)頃に建てられました。近代のコンクリートブロックやスレート造のものとは違い、丁寧に積み上げられたレンガや開口部のアーチなどは、独特の趣があります。そのレンガには、ところどころに四角い小さな文字が刻まれています。これはレンガを作った職人のサインのようなものです。
(引用元:敦賀観光協会HPより)
旧敦賀港駅場所の側にあるのが、ランプ小屋。
列車の灯火に使用されるカンテラの燃料を保管する油庫。
駅舎はすでになくなり、別の場所で再現されており、今、敦賀港駅があった場所を感じ取れる貴重な建屋となっていました。
おまけ
旧敦賀港線路
旧敦賀港駅舎跡地には、トイレが設置され、駐車場となっていました。
側にあった、金前寺(こんぜんじ)は、736年(天平8年)に聖武天皇の勅願により開山された由緒あるお寺。
松尾芭蕉が訪れ、芭蕉の句碑(鐘塚)が建立されたこともあるお寺。
今回の旅の目的地ではなかったものの、五重塔が建てられていたりと、かなり惹きつけられるお寺でした。
敦賀の旅はまだまだつづく。
◆地図・アクセス
〒914-0072 福井県敦賀市金ケ崎町1−19