伝説と造形美に出会う旅 〜「ドラゴンパークたかびれ公園」と「吉浜神明社」へ〜 ( 愛知県高浜市の旅 : 2025-03-01 )
ドラゴンパーク たかびれ公園と吉浜神明社
今回は、高浜市の歴史と伝説に触れる旅へ。
スタート地点は「竜田公園」。
ここから名鉄三河線の線路沿いを北へ歩いておよそ10分。
目指すは、地元で“ドラゴンパーク”の愛称で親しまれている「たかびれ公園」と、そのすぐ隣に鎮座する「吉浜神明社」です。
ドラゴンパーク たかびれ公園
まず最初に目に飛び込んできたのは、道路沿いに突如現れる巨大な龍のモニュメント。
そのスケールと迫力に思わず立ち止まり、しばし見入ってしまいました。この公園こそが、「ドラゴンパークたかびれ公園」です。
この地にはかつて、「蛇抜(じゃぬけ)」という名の小字が存在していました。
今では芳川町周辺となっていますが、1989年の町名地番変更まで「吉浜町蛇抜」として地名が残されていました。
蛇抜の名の由来は、地元に語り継がれる「竜田の大蛇伝説」にちなんでいます。
その伝説とは——吉浜地区にあった竜田(りゅうた)という小字に棲んでいた大蛇が、人間の若者に化け、美しい娘に恋をします。正体が露見して村人たちに追われるも、長者の助けを借り、衣ヶ浦を渡って知多へと逃げ延びたといいます。今もその痕跡は、「蛇抜橋」や「蛇抜大橋高架橋」といった名に残されており、地域の記憶として生き続けています。
たかびれ公園には、この蛇抜伝説にちなんで、地元高浜の名産品である瓦を用いた二頭の巨大な瓦龍が設置されています。
製作したのは、高浜が誇る伝統工芸「三州鬼師」。高さはともに約2メートル、胴の長さは40メートルと70メートルで、一頭は胴体が渦を巻くような曲線を描いており、その造形美は圧巻。まるで今にも地面から飛び出して空を舞いそうな生命感が漂っていました。
この瓦龍は、子どもたちが遊べる迷路になっており、近所の家族連れに親しまれています。
しかしながら、その圧倒的な存在感にもかかわらず、名鉄三河線の電車はこの公園のすぐ横を眼下を抜けるように通過してしまうため、車窓からは残念ながらその姿をほとんど見ることができません。
車で通りかかった人がこの巨大龍をいきなり目にしたら、きっと驚きで思わず二度見してしまうことでしょうね。
吉浜神明社
公園のすぐ隣には「吉浜神明社」が静かに佇んでいます。
こちらは天照大神を祭神とし、平安時代初期の弘仁年間(810〜824年)に伊勢から御分霊を勧請して創建された歴史ある神社です。
創建当初は、現在の吉浜町南屋敷に「太神宮」として祀られていましたが、万治元年(1658年)に火災で社殿が焼失。その際、御神体が火中から風に吹かれて飛び出し、一本の松の枝に掛かったのを神の啓示ととらえ、現在の地に移転・再建されたという不思議な歴史を持ちます。
この地が、先述の竜伝説と関わりのある場所であることもまた興味深い偶然(いや、必然?)です。
このようにして、火災を経て“神が導いた”とされるこの地に根を下ろした神明社では、万治2年から続く神事「射放弓(いはなちゆみ)」が今も伝承されており、地域の重要な祭礼の一つとなっています。
高浜市には、こうした歴史や伝説が今も街のあちこちに静かに息づいています。
大山緑地に鎮座する巨大たぬき像のリアルさに目を見張ったのも束の間、このドラゴンパークの二頭の龍には、さらに度肝を抜かれました。
瓦でここまでの躍動感や曲線美を表現できる職人技に、ただただ感嘆するばかり。まさに“見て・触れて・驚く”を体現するスポットでした。
神話の地に降臨した神社と、伝説を形にした公園。
どちらも一見の価値ありです。高浜市はまだあまり観光地化されていない分、地元ならではの素朴な魅力と発見が詰まっていて、散策好きにはたまらない街。
もっと広くアピールされたら、きっと多くの人が訪れるのではないかと感じました。
皆さんもぜひ一度、この「ドラゴンパーク」と「吉浜神明社」を訪れてみてください。
きっと、歴史と伝説の交差点に立つ、不思議な感動が待っています。
高浜市の旅もいよいよ次回でラスト。つづく。
◆地図
〒444-1335 愛知県高浜市芳川町2丁目1−7