長谷川喜久 日本画展「色―彩 ~ 感情の記憶/空間の記憶」 ― 古川美術館を訪れて ( 名古屋市千種区の旅 : 2025-06-15 )
古川美術館 (名古屋市千種区)
池下の街からスタート
2025年6月のある日、私は地下鉄東山線の池下駅に降り立ちました。改札を抜けて地上に出た瞬間、懐かしい気持ちが込み上げてきます。若い頃、この界隈にあった「愛知厚生年金会館」で何度もコンサートを観に来ていたからです。街の風景は多少変わっていても、駅前の雰囲気や坂道の感覚に当時の記憶が重なり、心の中に柔らかな郷愁が広がりました。
駅から歩くことおよそ5分。閑静な住宅街の中に、目的地である古川美術館が現れました。
外観は落ち着いた佇まいですが、扉を開けてロビーに足を踏み入れると、一転して華やぎを感じます。中央に伸びる螺旋階段と、天井から柔らかく降り注ぐ照明。まるで結婚式場のような雰囲気が漂い、訪れる人の心を明るく迎えてくれます。受付でチケットを購入し、いよいよ展示室へと向かいました。
初めて出会う長谷川喜久の世界
今回開催されていたのは、岐阜県生まれの日本画家・長谷川喜久さんによる展覧会「色―彩 ~ 感情の記憶/空間の記憶」。私は正直なところ、これまで長谷川さんのことを存じ上げてはいませんでした。しかし親が絵を描く人だったこともあり、会場に入る前からどこか懐かしい気持ちがして、自然と期待が膨らみます。
展示の冒頭には、作家の略歴やこれまでの歩みが紹介されていました。長谷川さんは名古屋芸術大学で教鞭をとりながら、日展を主な舞台として作品を発表。1999年と2001年には特選を受賞している実力派です。若い頃は人物画を中心に、自己の内面や社会への不安を表現した作品を手がけ、その後、写生に基づいた風景画や花鳥画にも取り組んできたとのこと。近年は「Forms」「Colors」といったシリーズを展開し、独自の色彩世界を追求しています。
白の存在感
数多くの作品が並ぶ中で、まず私の目を釘付けにしたのは「白」の使い方でした。日本画における白といえば、一般的には余白や空間を示すもの。しかし長谷川さんの白は、それ以上の意味を持っています。
画面に広がる白は、ただの背景ではなく、光そのもの、あるいは時間や記憶の象徴として息づいていました。雪景色を描いた作品では、降り積もる雪が音まで吸い込んでしまうような静寂を漂わせつつ、画面の中心を強く支えている。霞を描いた別の作品では、白が空気の揺らぎや時間の流れを表し、見る者をふわりと別世界へ導いてくれます。
人物画のニュアンスの違い
もうひとつ心に残ったのは人物画です。展示を見進めるうちに、男性像と女性像で明らかに描き方が異なることに気づきました。
男性像は構築感が強く、しっかりとした線と力強い色使いで描かれています。表情や身体のラインには張り詰めた空気があり、人物の存在を画面の中で確固たるものにしています。
一方で女性像は、全く違う雰囲気を放っています。輪郭は柔らかく、肌や髪には淡い色調、時にはくすんだピンクのような色が差し込まれ、透明感や儚さを感じさせるのです。背景は抽象的に処理され、人物と一体となって浮かび上がるような演出。細部まで描き込むのではなく、あえて省略やぼかしを使うことで、幻想的で夢のような世界が広がっていました。
その繊細な仕上げを見ながら、私は幼い頃に見た親のデッサンを思い出しました。線の強弱や色の重ね方ひとつで、表情ががらりと変わる。そんな絵の奥深さを久しぶりに体感できたことに、胸が熱くなりました。
美術館という空間で味わう時間
展示室は静かで、来館者はそれぞれのペースで作品と向き合っていました。ひとつの絵の前で長く立ち止まる人、全体を見渡すように歩く人。その姿を眺めながら、絵画はやはり「見る人の時間」を引き出す芸術だとあらためて感じます。
館内を巡り終え、再び螺旋階段を降りてロビーに戻ると、外の光がやけに眩しく感じられました。作品の余韻がまだ心の奥で反響しているからでしょう。展覧会のタイトルにある「感情の記憶」という言葉の通り、鑑賞体験そのものが私の心に深く刻まれました。
このあと私は、分館・爲三郎記念館へと足を運びました。美しい庭園とともに、また異なる空気の中で作品に触れることができるそうです。その様子は、次回のブログであらためてお伝えしたいと思います。
地図
〒464-0066 愛知県名古屋市千種区池下町2丁目50