勝運を授ける杜 ― 名古屋・丸山神明社を歩く ( 名古屋市千種区の旅 : 2025-06-15 )
丸山神明社 (名古屋市千種区)
古川美術館から住宅街へ
名古屋市千種区にある古川美術館を訪れたあと、せっかくだからと池下駅の南側を歩いてみることにしました。普段ほとんど足を運ばないエリアですが、住宅街の中に「丸山神明社」という神社があることを知り、散策がてら立ち寄ってみることにしました。
駅前の賑わいから少し離れると、静かな住宅地が広がります。その一角、こんもりとした緑に囲まれるようにして鳥居が立ち、そこが目的地の丸山神明社でした。思いがけず大きな社の佇まいに出会い、なんだか少し胸が高鳴ります。
境内の雰囲気
鳥居をくぐると、参道の両脇には木々が影を落とし、外の喧騒がすっと遠ざかります。
境内は決して広大ではありませんが、整えられた社殿と古木の並ぶ景観は、確かに地域の鎮守という風格を漂わせていました。
静けさの中で鈴を鳴らすと澄んだ音が響き、気持ちもすっと引き締まるようでした。
歴史をたどる
丸山神明社の創建年代は明らかではありませんが、社伝によれば平安時代にはすでに鎮座していたと伝わります。御祭神は天照大神。伊勢神宮を本宮と仰ぐ「神明社」の一つとして、この地の人々に篤く信仰されてきました。
かつて千種区一帯は「愛知郡猪高庄」と呼ばれる農村地帯。村人たちは五穀豊穣や家内安全を願い、神明社を守り続けてきました。江戸時代には名古屋城下が発展し、人の行き来が増える中で、この神社は地域の結束を支える存在でもあったといいます。
「勝運」を授ける神社
丸山神明社には「力が授かる」「勝ちを呼び込む」という伝承があります。受験やスポーツ、仕事など人生の勝負どころに参拝する人は今も少なくありません。
戦国時代、織田信長の父・織田信秀は、千種区の末森城(現在の城山八幡宮の地)を本拠としていました。出陣のたびにこの神社に立ち寄り、戦勝を祈願したと伝わります。尾張で勢力を広げる過程で、信秀にとってここは「勝利の力」を授かる場だったのでしょう。その逸話が、丸山神明社が「勝運の神」として語り継がれる理由のひとつとなっています。
境内を歩きながら、都会の真ん中にこうした静かな祈りの場が残されていることに、心が温かくなりました。観光名所のような華やかさはないものの、むしろその静けさが訪れる人の心に深く響きます。
古川美術館で芸術に触れたあと、歴史ある神社で静かに手を合わせる。そんな流れは思いがけず心地よい余韻を残してくれました。住宅街の中にひっそりと息づく丸山神明社は、地域の人々の暮らしを支えてきた大切な祈りの場であり、訪れる人にも静かな力を授けてくれる場所でした。
地図
〒464-0843 愛知県名古屋市千種区丸山町1丁目1−38