近江鉄道で五箇荘へ【後編】中江準五郎邸の琵琶湖庭園に感動 ( 滋賀県東近江市の旅 : 2025-09-14 )
Contents
重要伝統的建造物群保存地区・五個荘近江商人屋敷・中江準五郎邸(滋賀県東近江市)
外村繁邸の余韻を抱えて、次の屋敷へ
五個荘近江商人屋敷・外村繁邸を後にすると、町の空気が少しだけ軽く感じられました。
建物をひとつ見終えたというより、物語の一章を読み終えた、そんな感覚です。
近江鉄道で五箇荘へ【中編】五個荘金堂の町並みを歩く。五個荘近江商人屋敷 外村繁邸 ( 滋賀県東近江市の旅 : 2025-09-14 )
次に向かったのは、外村宇兵衛邸。
こちらも近江商人の名を伝える立派な屋敷ですが、現在は「NIPPONIA五個荘」という宿泊施設として活用されています。残念ながら中に入ることはできず、今回は外からそっと眺めるだけ。
けれど、不思議なもので、それだけでも十分に楽しめました。
門構えの美しさや、屋根の重なり、通りに対する建物の向き。
「この家には、ちゃんと理由があって、この形なんだな」と、自然と納得してしまう佇まいです。
住まいであり、商いの場であり、そして今は旅人を迎える宿。
形を変えながらも生き続けている建物を前に、五箇荘という町の懐の深さをあらためて感じました。
中江準五郎邸へ
五個荘金堂の町歩き、最後の目的地は
五個荘近江商人屋敷・中江準五郎邸です。
ここは、近江商人の暮らしと心構えを、今も静かに伝えてくれる場所。
派手さはありませんが、「この家、なんだか信頼できそう」と思わせてくれる、不思議な安心感があります。
中江準五郎は、江戸時代後期から明治期にかけて活躍した近江商人。
全国を行き来しながら商いをする中で、
・目先の利益よりも信用を大切にする
・地域や人との関係をおろそかにしない
そんな姿勢を貫いた人物だったそうです。
表構えは白壁と格子を基調とした、すっきりとした外観。
華美ではないけれど、どこか背筋が伸びるような品の良さがあります。
通りに面した間口の広さからは、「商売、ちゃんとしてました」という自信が、控えめに伝わってきました。
通り庭から座敷へ、暮らしが続く動線
屋敷に入ると、まず目に入るのが通り庭。
玄関から奥までまっすぐ伸びる土間は、人も荷物も行き交う、働く家ならではの空間です。
商いと生活をきっちり分けるのではなく、ひと続きとして考える。
そんな近江商人らしい合理性が、建物のつくりから伝わってきます。
座敷に上がると、空気がふっとやわらぎました。
床の間や欄間、建具のひとつひとつが主張しすぎず、でもきちんと整えられています。
「気を遣わせないけれど、ぞんざいでもない」
そんな、ちょうどいい距離感のおもてなし。
ここで客人を迎えた人たちの姿が、自然と目に浮かびました。
琵琶湖を庭に写すという発想
そして、この屋敷でいちばん心をつかまれたのが、奥の庭園です。
静かで、風が通って、つい長居してしまう場所。
商いで張りつめた気持ちを、ふっとほどくための空間だったのだろうな、と感じました。
庭の池は、琵琶湖をかたどっていることで知られています。
上から見ると、
北がふくらみ
南へ向かって細く伸びる
その輪郭は、たしかに琵琶湖を思わせます。
縁側から少し引いて眺めると、「あ、これかも」と気づく瞬間がありました。
池の中の小さな中島や石組は、竹生島や沖島など、琵琶湖の風景を連想させるもの。
そっくりそのまま再現するのではなく、象徴として庭に取り込む。
その控えめさが、なんとも近江商人らしいと感じます。
琵琶湖は、
商いの道であり、情報の通り道であり、そして故郷そのもの。
全国を歩いた中江準五郎にとっても、ここは「戻ってくる場所」だったのでしょう。
庭に琵琶湖を写すことで、
「自分はどこから来たのか」
を、日々思い出していたのかもしれません。
今回の五箇荘の旅で、いちばん心に残った庭園でした。
余韻を残して、帰り道へ
本当はこのあと、
五個荘近江商人屋敷・藤井彦四郎邸にも行きたかったのですが、電車の時間が迫り、今回は断念。
それもまた、「次はここへ来よう」という楽しみとして、取っておくことにします。
米原駅へ戻り、新幹線で名古屋へ。
やってきた車両は、まさかのディズニーバージョン。

しかも到着音はラプンツェルの音楽で、思わず気分が上がりました。
静かな町並みと、まじめで誠実な商人たちの気配。
その余韻を胸に、少しだけ足取り軽く、帰路につきました。
地図
〒529-1405 滋賀県東近江市五個荘金堂町643









































