大徳寺・深淵なる塔頭巡り:龍源院 / 三玄院 / 聚光院 / 龍翔寺 (京都府京都市の旅 : 2025-12-13)

 

 

大徳寺 / 龍源院 / 三玄院 / 聚光院 / 龍翔寺(京都府京都市)

黄梅院で「直中庭」の苔と「破頭庭」の白砂に心洗われた後も、私の歩みは止まりません。大徳寺の広大な境内には、20を超える個性豊かな塔頭(たっちゅう)が点在しています。

今回は、拝観時間の都合などで内部の見学こそ叶わなかったものの、その門構えや土塀越しに圧倒的な存在感を放っていた、歴史深い寺院の数々をご紹介します。門の前に立つだけで背筋が伸びるような、禅寺ならではの知的な散策記録です。


大徳寺宗務本庁:禅宗の格式を象徴する、静かなる「中枢」

黄梅院を後にし、まず目に飛び込んでくるのが大徳寺宗務本庁です。観光客が賑やかに往来するエリアとは一線を画した、凛とした空気が建物の周囲に張り詰めています。

ここは、臨済宗大徳寺派の大本山としての管理・運営を一手に担う、いわば大徳寺という巨大な宇宙の中枢。一般の拝観を目的とした場所ではありませんが、その建築の佇まいには、禅宗寺院としての圧倒的な格式が宿っています。

どっしりとした瓦屋根と、非の打ち所がないほど整えられた白壁。門前から覗く景色は、華美な装飾を一切削ぎ落とした「無」の美学を体現しているかのようです。ここで日々、何百という末寺を統括する実務が行われていると思うと、単なる史跡としての寺院ではなく、今この瞬間も生き続けている宗教都市としての「熱」を感じずにはいられません。静寂のなかに潜む強い意志、それこそが大徳寺宗務本庁が放つ独特の存在感の正体でした。

龍源院:大徳寺「最古」の誇りを纏う門構え

宗務本庁から南東に歩みを進めると、大徳寺の中でもひときわ歴史の古さを誇る龍源院(りょうげんいん)に辿り着きます。文亀2年(1502年)に建立されたこの寺院は、大徳寺の中で最も古い塔頭の一つとして知られています。

外から眺めるだけでも、室町時代の建築様式を今に伝える方丈(本堂)の屋根の重なりに、悠久の時の流れを感じることができます。能登の畠山義元、周防の大内義興ら戦国大名たちが開基に関わったとされるこの場所は、まさに武士の精神性が禅の教えと深く結びついた象徴的な場所。

内部には「一枝庵」をはじめとする趣の異なる枯山水庭園がいくつも存在し、特に日本最小の枯山水といわれる「東滴壺」があることでも有名です。門の前に立ち、内部にあるはずの静謐な砂紋に思いを馳せるだけで、心が浄化されるような気がします。大徳寺における「禅寺の標準」ともいえるその構えは、初めて訪れる者をも厳かに迎え入れる包容力に満ちていました。

三玄院:石田三成が眠る、歴史の表裏を感じる場所

続いて通りかかったのは三玄院(さんげんいん)です。ここは、関ヶ原の戦いで敗れた西軍の将・石田三成の墓所があることで知られる寺院です。

天正17年(1589年)、石田三成や浅野幸長らが春屋宗園を開山として建立しました。普段は公開されていないことが多いため、門の内側を伺い知ることは難しいのですが、門前に立つだけで歴史ファンならずとも不思議な感慨に耽ってしまいます。かつて利休の弟子でもあった古田織部もここで禅を学んだと伝えられており、茶の湯と歴史の大きなうねりがこの小さな塔頭の中で交差していたことが分かります。

三成の墓があるということは、ここは彼が非業の死を遂げた後、その魂を安らわせるために選ばれた場所。華やかな表舞台の歴史の裏側で、静かに、しかし絶やすことなく受け継がれてきた「弔い」の精神が、周囲の静寂と同化しているようでした。門を固く閉ざしたその姿は、語りすぎることのない禅の教えそのものを表現しているかのようです。

聚光院:千利休の魂が眠る、茶の湯の聖域

大徳寺の中心部に近い場所に位置する聚光院(じゅこういん)は、茶道を嗜む者にとって、まさに「聖地」と呼ぶにふさわしい場所です。ここは、茶聖・千利休の菩提寺であり、茶道三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)の歴代墓所が置かれています。

永禄9年(1566年)、三好義継が父・長慶の供養のために建立。内部には狩野松栄・永徳親子による国宝の障壁画が納められており、その芸術的価値も計り知れません。門前に立つだけで、利休が追い求めた「わび茶」の精神の源流に触れているような、厳粛な心地になります。

ここには、華々しい文化の極みと、死という絶対的な静寂が同居しています。利休が自らの命と引き換えに守り通した美学が、今もなおこの地で大切に守られ、受け継がれている。その事実を知って見上げる空は、他よりも一段と高く、澄んでいるように感じられました。

龍翔寺:学問と修行の場、格式高い専門道場

最後に訪れたのは、大徳寺の北端に位置する龍翔寺(りゅうしょうじ)です。ここは一般的な観光寺院ではなく、修行僧が禅の修行に励む「専門道場」としての性格を強く持っています。

もともとは鎌倉時代、今の京都御所の地あたりに創建された名刹でしたが、後に大徳寺の境内に移されました。ここが大徳寺の中でも特別な存在である理由は、明治時代以降、大徳寺全体の学問や修行を司る重要な拠点としての役割を担ってきたからです。

そのため、境内は常に深い静寂と、修行場特有の張り詰めた緊張感に包まれています。高く築かれた塀の向こうからは、風に揺れる木々の音以外、一切の音が聞こえてきません。しかし、その静寂こそが、現代においても禅の教えが厳格に守られている証左でもあります。知的な好奇心を刺激されるとともに、自分自身の日常を省みるような、謙虚な気持ちにさせてくれる場所でした。


大徳寺の旅は、目に見える美しさだけでなく、門の向こう側に広がる物語を想像する楽しみを教えてくれます。

この後は、大徳寺の塔頭(たっちゅう)の中でも、特に「特別」な場所として知られる大仙院へ。次の旅ブログにて。

住所 / 地図

〒603-8231 京都府京都市北区紫野大徳寺町53

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