大徳寺・大仙院。室町文化の粋を極める、国宝の方丈と「水」を語る枯山水 (京都府京都市の旅 : 2025-12-13)

 

 

大徳寺・大仙院(京都府京都市)

大徳寺の広大な境内を巡る旅は、興臨院、瑞峯院、そして門外からその格式を仰いだ数々の塔頭を経て、いよいよ一つの頂点へと差し掛かります。

大徳寺・深淵なる塔頭巡り:龍源院 / 三玄院 / 聚光院 / 龍翔寺 (京都府京都市の旅 : 2025-12-13)

今回訪れたのは、大徳寺塔頭の中でも屈指の歴史を誇り、室町時代の美意識を今に伝える「大仙院(だいせんいん)」。永正6年(1509年)、大徳寺76世住職である大聖国師・古岳宗亘(こがくそうこう)禅師によって創建されたこの寺院は、まさに日本文化の「深淵」と呼ぶにふさわしい場所でした。

迷いを断ち切る一喝。尾関宗園氏による「喝」の衝撃

建物に入り、玄関でまず目に飛び込んでくるのは、襖に大きく書き抜かれた「喝(かつ)」の文字です。

禅宗における「喝」とは、修行者の迷いや執着を一瞬にして断ち切り、悟りへと導くための鋭い叫びを指します。この圧倒的な筆致を揮ったのは、大仙院の名物和尚として知られる尾関宗園(おぜき そうえん)氏。

その力強く、独特の勢いを持った一文字は、単なる書を超えて、訪れる者の魂を揺さぶるような迫力に満ちています。

「日常の雑念を払い、清らかな心で道場に入りなさい」

その無言の教えに、思わず背筋が伸びるのを感じました。知的な静寂の中へ入るための、これ以上ない洗礼と言えるでしょう。

水なき場所に水の物語を見る。枯山水庭園の最高峰

受付を済ませ、国宝に指定された本堂(方丈)へと進むと、そこには世界的に高い評価を受ける枯山水庭園が広がっています。

大仙院の庭園は、水を使わずに石と白砂だけで大自然の風景を描き出す、室町時代随一の名園です。ここでは、北東の角にある「蓬莱山」から流れ出た水が、やがて「大河」となり、最後には「大海」へと注ぎ込むという、壮大な生命の物語が表現されています。

  • 動の石、静の砂: 垂直にそそり立つ大石(枯滝組)が激しく流れ落ちる水の躍動(動)を象徴し、水平に広がる白砂が全てを包み込む穏やかな流れや海(静)を象徴しています。

  • 時の流れを象徴する「船石」: 川に浮かぶ船を模した石は、荒波を越えて進む人の一生をも暗示しているかのようです。

一切の虚飾を排し、石の配置と砂紋だけでこれほどまでに豊かな「水の気配」と「宇宙の広がり」を感じさせる技術。それは、古岳宗亘禅師から現代まで受け継がれてきた、禅の形而上学的な美学の結晶に他なりません。

拾翠室:利休と秀吉、二人の天才が交差した空間

さらに奥へと歩を進めると、書院の間、別名「拾翠室(しゅうすいしつ)」に辿り着きます。ここは、茶聖・千利休と天下人・豊臣秀吉にまつわる、極めて重要な歴史的舞台です。

室町時代、この部屋で利休が秀吉にお茶を献じたと伝えられています。特に有名なのが、書院の前にある「沈香石(ちんこうせき)」のエピソード。利休はこの石の上に、涼しげで高潔な花を活けました。それを見た秀吉が、その無駄のない洗練された風情に、いたく感じ入ったという逸話が残っています。

相阿弥、狩野元信、狩野之信といった、室町時代を代表する巨匠たちが手がけた襖絵に囲まれたこの空間。そこには、数百年を経た今もなお、二人の天才が競い合った「美」の緊張感が漂っています。利休が生前から親しく詣でたというこの大仙院は、茶の湯の精神が禅と深く結びついた場所であることを、改めて実感させてくれました。


歴史の重みと禅の知性が凝縮された大仙院。座禅体験やお茶の席など、再訪した際に楽しみたい宿題をいくつも胸に残しながら、私は充実した心地でこの名刹を後にしました。

しかし、大徳寺の旅はまだ終わりではありません。 いよいよ次が、今回の参拝を締めくくる最後の目的地。

織田信長の正室・帰蝶(濃姫)とも縁が深く、近年その「盆栽庭園」が大きな注目を集めている場所——「芳春院(ほうしゅんいん)」へと向かいます。

(次のブログへ続く)

住所 / 地図

〒603-8231 京都府京都市北区紫野大徳寺町53

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