今宮神宮。朱塗りの楼門と提灯揺れる拝殿。平安から続く疫病除けの祈りを辿って (京都府京都市の旅 : 2025-12-13)

 

 

今宮神宮(京都府京都市)

大徳寺という深い禅の世界を後にし、次なる聖域へと歩みを進めます。今宮門前通りを北へと直進すると、視界の先に鮮やかな色彩が飛び込んできました。今回の旅の大きな節目となる「今宮神宮(今宮神社)」への到着です。

平安の昔より京の街を災厄から守り続けてきたこの社は、厳格な禅寺の空気とはまた異なる、人々の切実な願いを包み込むような温かな慈愛に満ちていました。


楼門の朱に導かれ、平安の記憶へ

神域の入り口でまず圧倒されるのが、見事な「朱塗りの楼門」です。

今宮神宮の創建は平安時代中期の正暦5年(994年)。当時、都で猛威を振るっていた疫病を鎮めるため、御霊会(ごりょうえ)が行われたことが始まりとされています。

この楼門を見上げると、その鮮やかな朱色が周囲の木々の深い緑と見事なコントラストを描き出しています。派手でありながらも、決して軽薄ではない。長い歴史の中で風雪に耐え、都の人々の「無病息災」の祈りを受け止めてきた風格が、その門構えには宿っています。一歩足を踏み入れるごとに、心が浄化され、静かに整っていくのを感じずにはいられません。


拝殿に灯る「整然たる美」。背筋が伸びる静寂のひととき

境内の中央に位置する「拝殿」こそ、私が最も感銘を受けた場所の一つです。

堂々とした佇まいの拝殿は、過度な装飾を排した、気品溢れる意匠が特徴です。軒の柔らかな曲線、それを支える柱の力強さ。すべてが計算し尽くされた均衡を保っており、京の古社ならではの品格を漂わせています。

提灯が織りなす「祈りの風景」

特に印象的だったのが、拝殿にずらりと掲げられた提灯の美しさです。 白地に社紋や奉納者の名が記された提灯が、一点の乱れもなく整然と並ぶ様は、まさに圧巻。穏やかな光の下で、それらが微かに揺れる様子は、目に見えない人々の「想い」が可視化されているかのようです。

拝殿の前に立ち、この整然とした美しさを眺めていると、不思議と雑念が消え、背筋がすっと伸びる感覚に包まれます。華美ではない、けれど揺るぎない力強さ。地域の人々に支えられ、何世代にもわたって守られてきた祈りの厚みが、ここには確かに存在していました。


境内に息づく信仰の形。奇石「阿呆賢(あほかし)」

参拝を済ませて境内を巡っていると、一角に丸みを帯びた大きな石が置かれ、熱心に手を合わせる人々の姿が見えました。これこそが今宮の名物、占い石として知られる「阿呆賢(あほかし)」です。

願いを込めて石を持ち上げ、その重さの感じ方で願いの成否を占うというこの奇石。そのユニークな名は「阿呆か賢いか」を試すという説や、古語に由来する説などがあるそうです。今回は時間の都合もあり、横からその様子を眺めるに留めましたが、人々の願いを静かに受け止める石の存在は、神社の歴史的な威厳の中に、どこか親しみやすい温かさを添えていました。


信長公の影と、門前通りの「断腸の思い」

境内には、大徳寺との深い縁を感じさせる織田信長公を偲ぶ小さなお社もあり、戦国から現代へと続く歴史の連続性を感じさせてくれます。こうした歴史の断片を拾い集めながら歩くのも、京都散策の知的な醍醐味です。(写真なくてごめんなさい)

参拝を終え、東門から門前通りへと抜けると、そこには抗いがたい誘惑が待っていました。 平安時代から続くあぶり餅の老舗「一和」と、江戸時代からの歴史を持つ「かざりや」。炭火で炙られた香ばしい餅と、白味噌の甘やかな香りが参道いっぱいに広がっています。

しかし、無念。 この日の私は、あいにく歯の治療中……。 あの香ばしい匂いを胸いっぱいに吸い込みながらも、涙を呑んで通り過ぎるしかありませんでした。「無病息災を祈った直後に無理をしてはならない」と自分に言い聞かせつつ、次回の完全な状態での「リベンジ」を固く心に誓いました。


旅は北大路から、緑あふれる植物園へ

今宮神宮での参拝は、賑やかな観光地とは一線を画す、ゆったりとした贅沢な時間でした。平安の祈りと現代の静寂。すべてが調和したこの場所を後にし、私は再び北大路駅周辺へと戻ります。

次なる目的地は、京の北に広がる広大なオアシス、「京都府立植物園」。 禅の庭、神社の境内を巡った一日の締めくくりに、自然が織りなす極彩色の美しさを求めて、さらに歩みを進めます。

(次のブログへつづく)

住所 / 地図

〒603-8243 京都府京都市北区紫野今宮町21

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