いざ!関ケ原 : ”関ヶ原の戦い”で有名な町へ ( 岐阜県不破郡関ヶ原町の旅 前編 : 2023-10-07 )

 

関ヶ原町(前編):”関ヶ原の戦い”で有名な町へ

関ヶ原町(岐阜県不破郡)

大河ドラマで注目を浴びている関ヶ原町に、人生初上陸してきました。

前編と後編の2回に分けてご紹介したいと思います。

関ヶ原町とは、岐阜県大垣市と滋賀県米原市のちょうど真ん中に位置するエリアになります。

岐阜県西濃地方西端の不破郡に属する町。

壬申の乱や、関ヶ原の戦いの古戦場がある地として知られています。

JR東海道本線沿いの町のため、アクセスも良く、関西方面からも名古屋方面からも気軽に訪れることができます。

 

JR東海道本線 関ヶ原駅

名古屋と大阪をつなぐ大動脈である”JR東海道本線”の駅だけあって、ホームは広い!!!

下車した人はほぼ全員観光客。

綺麗な青空!最高の旅日和。

 

 

駅舎

ホームの広さと違い、駅舎はスリム・コンパクト。

駅前は路面もしっかりと舗装されており、広々としておりました。

 

関ヶ原駅前にある”関ヶ原駅前観光交流館”(愛称:いざ!関ケ原)

”関ヶ原駅前観光交流館”(愛称:いざ!関ケ原)とは

関ケ原町の観光情報の発信拠点として、またアンテナショップとして親しまれている「関ケ原駅前観光交流館(愛称:いざ!関ケ原)」。数あるお土産物の中でも安定して人気が高いのが、「どん兵衛の東西セット」。他にも家紋入りのクッキーやせんべい、関ケ原たまりなどの調味料や、お菓子や、戦国武将のグッズ、関ケ原オリジナルのTシャツなど、バラエティーに富んだ商品が並びます。休憩スペースに置かれた旅の思い出ノートには、関ケ原を愛する方たち(主に歴史愛好家)の、メッセージがびっしり!駅前という立地もあり、旅の始まりと締めくくりに立ち寄る拠点となっています。

(引用サイト:https://www.sekigahara1600.com/spot/izasekigahara.html

帰りに寄る予定でしたが、電車の待ち時間がなく、今回は寄れませんでした。

お土産や観光案内だけでなく、コインロッカーやレンタサイクルの利用もできるとのことなので、次回はぜひ活用したいと思います。

 

 

駅前〜岐阜関ケ原古戦場記念館までの道のり

駅前から観光スポット”岐阜関ケ原古戦場記念館”までのは、徒歩9分。

 

駅下車後、右手へ。線路沿いを2分ほど歩き

 

橋を渡れば、後はまっすぐ目の前に”岐阜関ケ原古戦場記念館”が現れます。

土曜日に訪れたのに

”岐阜関ケ原古戦場記念館”はまさかの休館日。

 

月曜日や水曜日が休館日なら納得ですが、土曜日休むかぁ・・・( ;∀;)

まぁ、また次回、関ヶ原に訪れた際の楽しみにしたいと思います。

 

古戦場記念館の東には、関ヶ原町役場や関ヶ原ふれあいセンター、その間には、広い公園”ふれあい広場”があり、地元の家族連れが楽しまれておりました。

 

関ヶ原ふれあいセンターと、ふれあい広場

地元民の遊び場を堪能したところで、そろそろ観光スポットへ。

古戦場記念館の西側にある”徳川家康最後陣跡”へ。

 

徳川家康最後陣跡

徳川家康最後陣跡とは

JR関ケ原駅からすぐそば、今は陣場野公園と呼ばれる緑豊かな場所に「徳川家康最後陣跡」はあります。

関ケ原合戦当日午前11時ごろ、家康は苦戦に苛立ち、本陣を桃配山からまさに関ケ原の中央部、三成本陣の笹尾山のすぐ下(直線距離にて約800m)へ移動させました。

ここからの伝令により松尾山の小早川秀秋に発砲を命じ、見事裏切りへと仕向け、関ケ原合戦を勝利へと導いたのです。

合戦後この場にて引見が行われ、討ち取ってきた敵の首級が実検されました。

その後、幕府の命を受けた領主の竹中家により周囲の土塁や中央の土壇が築かれました。土壇中央には「床几場(しょうぎば)徳川家康進旗験馘處」と刻まれた標柱が建っています。

(引用サイト:https://www.sekigahara1600.com/spot/tokugawaieyasujinato.html

 

床几場:首実検が行われた場所

”岐阜関ケ原古戦場記念館”は休館日でしたが、そのすぐ北側にある”関ヶ原町歴史民族学習館”は開館していたので、ここでしばし休憩。

 

関ヶ原町歴史民族学習館

関ヶ原町歴史民族学習館とは

「岐阜関ケ原古戦場記念館」と共に、関ケ原町の郷土・歴史を大切にし、教育的視点・体験的要素を重視した施設です。全国の歴史ファンが集い、歴史を学び、語ることができる施設です。

(引用サイト:https://rekimin-sekigahara.jp/ )

学習館の前の旗をみて(今更ながら)気づいてしまいましたが、関ヶ原の戦いで勝敗を分ける寝返りを行なった”小早川秀秋”って、1602年に亡くなっているんですね。

関ヶ原の戦いの2年後。しかもまだ二十歳で!!!

18歳で福岡から関ヶ原まで来させられて、家康公に鉄砲で脅されて、味方を裏切って、その2年後、没する。

激動な人生ですね・・・。

 

このあとは、笹尾山にある石田三成陣地跡や関ヶ原古戦場 決戦地に向かうことに。

後編に続く。

 

地図・アクセス

所在地:〒503-1501 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原894−55

アクセス:JR東海道本線関ケ原駅より徒歩8分ほど

 

撮影機材

iPhone 12 Pro Max(主に超広角レンズを使用)

 

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