大正ロマン館から明知城跡へ――ひとつの町に息づく、二つの時代の記憶を駆ける旅のフィナーレ(岐阜県恵那市の旅:2026-02-21)

 

大正ロマン館・明知城跡(岐阜県恵那市)

私が最も愛する施設「大正ロマン館」との、7年ぶりの再会

大正路地を抜け、次に私が向かったのは、緑豊かな山の麓に堂々と佇む「大正ロマン館」です。

実は約7年前、2018年12月に初めてこの地を訪れた際にも足を運んでおり、日本大正村の有料施設の中でも、私が最もお気に入りの場所として深く記憶に残っていた場所でした。

建物の前に立つと、まず目に飛び込んでくるのが、周囲の自然に美しく調和する木造風の端正な外観です。ヨーロッパの建築様式を取り入れながらも、どこか優しげな日本の美意識が同居するその佇まいは、まさに洋風文化が本格的に日本人のライフスタイルに入り込み始めた、あの「大正時代」らしい独特のモダンな雰囲気を完璧にまとっています。建物の周辺にはきれいに平らな石畳が敷き詰められ、頭上にはどこか懐かしいデザインのレトロな街灯が整備されており、ただこの建物の前に佇んで周囲を見渡すだけでも、旅情がじんわりと湧き上がってくるのを感じます。

一歩中へ入り、館内を巡っていくと、そこには大正時代の日本人の暮らしや文化、そして当時の最先端の流行などを多角的に紹介する魅力的な展示がずらりと並んでいました。

モダン文化が華やかに花開いた時代らしく、展示されているポスターのデザインや室内の格調高い調度品には、どこか独特の華やかさと、「和」と「洋」の文化が混ざり合う、この時代にしか生まれ得なかった独特の空気感があります。展示されている大きな蓄音機や、実際に家庭で使われていたレトロな生活用品を一つひとつじっくりと見つめていると、せかせかと効率ばかりを追い求める現代よりも、ずっと時間がゆっくりと、そして情緒豊かに流れていた百年前の暮らしの情景が、頭の中に自然と浮かんできます。

大正のモダンから、戦国の歴史へとつながる驚きの展示

さらに、今回の訪問で嬉しい変化を感じたのが、大正浪漫の展示に留まらない、この土地のより深い歴史へのアプローチでした。

近年、2020年に放送されたNHK大河ドラマ『麒麟がくる』において、明智光秀が主人公として描かれたことを大きなきっかけに、この大正ロマン館の館内でも、明智光秀や彼を育んだ明智氏に関する展示・解説が大幅に充実されていました。

この地域と明智氏との深いつながりを古文書や分かりやすいパネルで詳しく紹介する専用のコーナーなどが新たに整備されており、旅人は大正時代のモダンな文化に浸りながらも、この土地が底底に持っているもう一つの顔である「戦国時代の激動の歴史」にも、ごく自然な流れで触れられる素晴らしい空間へと進化していたのです。大正浪漫だけでなく、この土地が持つ歴史の重みにも自然に触れられる演出に、町の歴史に対する深い誇りを感じました。

しばらくの間、大正ロマン館の静かな館内で腰を下ろし、これまでの歩みを振り返りながら、心地よい旅の休憩をとることにしました。

7年越しの挑戦:白鷹城跡へのリベンジを誓う

大正ロマン館の窓の外を見上げると、建物のすぐ背後に、青々とした木々をまとった険しい山が静かにそびえ立っています。それこそが、今回のぶらり旅の最終目的地であり、戦国時代にこの地を治めた明知遠山氏の拠点、「明知城跡(白鷹城跡)」です。

実は、私は7年前の最初の訪問時にも、この城跡へ向かおうと麓まで足を運んでいました。しかし、当時の登り口や散策ルートは少々案内が分かりづらく、事前の情報収集も不足していたため、結局どこからどのように山へ進めばよいのかが分からず、無念のタイムアップ。山頂へ行くことを泣く泣く断念したという、苦い過去の記憶が残っていたのです。

「今回あらためて訪れたからには、今度こそあの山頂までたどり着き、7年前の雪辱を果たしたい」

そんな強い思いを抱いていた私は、意を決して大正ロマン館の受付スタッフの方に「明知城跡へ登りたいのですが」と相談してみました。すると、スタッフの方は非常に親切な笑顔で、登城ルートが詳しく描かれた手作りの分かりやすい地図を「これを持って気をつけて行ってらっしゃい」と渡してくださいました。人の温かさに感謝しつつ、その貴重な地図をしっかりと片手に握りしめ、私はついに7年越しの登城を開始したのです。

残り時間30分! 息を切らして駆け上がる山道の強行軍

しかし、ここで旅特有の大きな時間的な制約が私の前に立ちはだかりました。

大正ロマン館を出発した時点で、恵那駅へと向かう帰りの明知鉄道の発車時刻が、わずか30分後に迫っていたのです。ローカル線である明知鉄道は本数が限られているため、これを逃すと次の列車までかなりの時間を待つことになってしまいます。普通に歩けば、大正ロマン館から天守跡のある山頂までは片道徒歩12分ほど。往復して駅まで移動することを考えると、一刻の猶予もありません。

結局、情緒に浸る余裕などほとんどなく、文字通り「駆け足」のような猛烈なペースで、急斜面の山道を一気に登ることになりました。

大河ドラマの放送以降、登城道の環境が大幅に改善されたのでしょう。山道の要所要所には新しく綺麗な案内板がいくつも増えており、私のような新参の訪問者でも決して迷うことなく進めるようになっていました。道がしっかりと整備されていることに感謝しつつも、周囲の木々に囲まれた細道に入ると、そこには今なお、人工的な観光地とは一線を画す本物の山城らしい厳かな空気が色濃く残っています。

激しく息を切らし、一歩一歩斜面を駆け上がりながら、ふと頭の中で想像が膨らみます。 「かつて戦国時代を生きた武士たちも、敵の襲撃に備え、あるいは日常の任務のために、今の私と同じようにこの急な坂を息を切らせながら登ったのだろうか」

足元に残る土の感触や、行く手を阻むように配置された曲輪(くるわ)や切岸(きりぎし)の遺構の気配を感じるたびに、400年の時を超えて、戦国の兵たちの足音がすぐ後ろから聞こえてくるかのような、不思議な臨場感に包まれました。

ついにたどり着いた山頂。静寂の中で噛みしめる達成感

時計の針を気にしながら、必死の急ぎ足で登り続けた結果、体感ではわずか5分ほどという驚異的なスピードで、ついに山頂の天守跡へと到着しました。

周囲が開けたその平坦な空間に立った瞬間、7年前にはどうしても果たすことができず、ずっと心に引っかかっていた“天守跡到達”という小さな、しかし確固たる達成感が、胸の奥から一気に込み上げてくるのを感じました。額ににじむ汗をフゥと拭いながら、大きく深呼吸をします。

山頂付近の様子はというと、周辺を豊かな森林が青々と生い茂って囲んでおり、正直なところ、遠くの山々や明智の町並みが一望できるような、期待していたほどの大パノラマが眼下に広がっているわけではありません。「白鷹城」という、そのいかにも雄大でどこか高鳴る城の名前から想像するような、四方を見渡せる圧倒的な展望を期待して登ると、少し拍子抜けしてしまうかもしれません。どちらかといえば、木々の葉が擦れ合う音だけが響く、極めて静かで素朴な山頂という印象です。

ですが、じっとその場に佇んでいるうちに、「この飾り気のない静けさこそが、明知城跡の本来の素晴らしさであり、この城跡らしさなのだ」と、深く納得させられました。

贅沢なことに、その時間帯に山頂を訪れているのは、世界中で私ただ一人だけでした。観光地としての喧騒はここまで一切届きません。誰もいない静寂の山頂で、木々を揺らす風の音だけをじっと聞きながら、「7年という長い時間がかかったけれど、ようやく自分の足でここまで来られたな」と、言葉にできない充実感をしみじみと噛みしめていました。

観光地化されすぎていないからこそ輝く、山城の魅力

山頂に身を置いて周囲の遺構を見渡しながら、一方で旅人としての素直な感想も頭に浮かびました。 「大河ドラマをきっかけに登城道や素晴らしい案内板はとても綺麗に整備されたけれど、もし、もう少しだけ山頂周辺の木々を伐採して視界を確保し、展望が開けるようになれば、歴史ファンだけでなくもっと多くの一般の観光客にとっても魅力的な場所になり、訪れる人が増えるのではないだろうか」と。

しかし、その考えはすぐに「いや、これでいいのだ」と思い直すことになります。山頂自体にまだ当時のままの、過度な人の手が加わっていない素朴な山城跡の雰囲気が色濃く残されていること。それこそが、現在の明知城跡が持つ最大の価値であり、防衛の要として機能していた当時のリアルな城の姿を今に伝える、一番の魅力なのだと感じたからです。

麓では大正浪漫の華やかな文化に触れ、山へ登れば戦国時代の空気を感じる――。明智町は、一つの町の中で異なる時代を自らの足で行き来できる、本当に不思議な魅力を持った場所でした。

無事、帰りの明知鉄道の電車にも滑り込みで間に合い、大満足の中で明智町のぶらり旅はおしまいです。まだまだ訪れることができなかったエリアはたくさんありますが、それについてはまたいつか、この町を再訪した際の大きなお楽しみにしたいと思います。

地図

〒509-7731 岐阜県恵那市明智町1304−1

 

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