でんがく五條の「なめし田楽定食」に感動!日吉神社で秀吉誕生の足跡を辿る清須の旅 ( 愛知県清須市の旅 : 2026-05-01 )
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でんがく五條・日吉神社・清洲本陣跡 (愛知県清須市)
2026年5月1日。暦の上では初夏を迎え、瑞々しい新緑が目に鮮やかな季節。私は、尾張の歴史が静かに、しかし力強く息づく「清須のまち」へと足を運びました。
今回の旅の舞台は、誰もが知る歴史の表舞台でありながら、一歩路地へ入れば驚くほど穏やかで、独自の信仰と食文化が今なお守られている場所。歩いて巡れる範囲に、ギュッと濃縮された歴史のドラマと、地元の方々に愛され続ける滋味深い味わいが詰まっていました。新清洲駅から始まる、時を遡るような散策の記録を綴ります。
新清洲駅、地下から始まる意外なプロローグ
今回の旅の起点は、名鉄名古屋本線「新清洲駅」です。 清須市にはこれまで何度も足を運んだことがありましたが、実はこの駅を利用するのは今回が初めてのこと。名古屋駅から電車に揺られてわずかな時間で到着するこの場所は、観光地としての華やかさよりも、そこに住む人々の暮らしが中心にあるような、どこか凛とした落ち着きを感じさせます。
まず驚かされたのが、その駅の構造です。改札口が地下に設置されているのですが、その配置がなんとも個性的で、まるで隠れ家への入り口のよう。都会の機能美とは一線を画す、この駅ならではの「ゆとり」と「遊び心」を感じ、これから始まる旅への期待が静かに高まっていきました。
駅を出て歩き始めると、すぐに清須のまちが持つ独特の空気感に包まれます。整備された道と、古くからの家並みが共存する景色。かつてここが交通と政治の要衝として、天下人たちが駆け抜けた場所であることを、肌で感じるような静謐さがありました。
五条川との再会、思わぬ繋がりに驚く
日吉神社を目指して歩を進めると、目の前に現れたのは五条川。
私にとって五条川といえば、岩倉市から犬山市にかけての桜並木。今年もその見事な景色を愛でるために足を運んだばかりでしたが、まさかこの清須の地でもその流れに出会えるとは思ってもみませんでした。
岩倉市・五条川桜並木散策記(第一章:大山寺駅から賑わいの「お祭り広場」へ) (愛知県岩倉市の旅 : 2026-03-29)
「ああ、あの川がここまで繋がっているのか」
地理的な繋がりを視覚的に理解した瞬間、旅のパズルが一つ埋まったような快感があります。川の流れとともに歴史もまた、上流から下流へと脈々と受け継がれてきたのだと、五条川のせせらぎが教えてくれているようでした。
信仰の杜:清洲山王宮 日吉神社と「日吉丸」の伝説
駅から歩くこと約10分。たどり着いたのは、清洲山王宮 日吉神社です。 清洲城の城下に位置し、城の総鎮守として古くから信仰を集めてきたこの場所は、足を踏み入れた瞬間に空気の密度が変わるのを感じます。
神の使い、猿たちが語る「福」
境内でまず目を引くのは、至る所に鎮座する「猿」の像です。 日吉神社において、猿は神の使い(神猿=まさる)として崇められています。
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「厄をさる」(魔除け)
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「福を招く」(勝る)
そんな願いが込められた猿たちの表情はどこか愛らしく、訪れる者の心を解きほぐしてくれます。厳しい歴史の荒波を見守ってきた神社でありながら、どこか温かみを感じるのは、この猿たちの存在があるからかもしれません。
天下人へのプロローグ
この神社の歴史を語る上で欠かせないのが、天下人・豊臣秀吉との深い縁です。 伝承によれば、秀吉の生母である「なか」(大政所)が、この日吉神社で子授けを祈願し、その願いが成就して授かった子が秀吉であるとされています。その奇跡への感謝を込めて、秀吉の幼名は「日吉丸」と名付けられたのだとか。
一人の赤子の誕生が、やがて戦乱の世を終わらせ、天下統一へと突き進む壮大な物語の起点となった。そう考えると、この静かな境内が、歴史の巨大な歯車が回り始めた場所のように見えてきます。派手な装飾はなくとも、積み重ねられた時間の重みが、じんわりと心に沁み渡るような、そんな力強い場所でした。
御神砂に込める、清めの祈り
参拝の証として、300円を納め、「御神砂」をいただきました。 これは神前で祓い清められた特別な砂。
古来より、家の敷地の四隅に撒いたり、玄関先に置いたりすることで、神様のご神威によって厄を除け、場所を清める力があると信じられています。 手のひらに伝わる砂の感触に、清須の地が育んできた信仰の形を感じ、大切に持ち帰ることにしました。
でんがく五條で味わう、洗練された郷土の記憶
神社を後にし、次なる目的地である「清洲本陣跡」へと北西へ向かいます。
五条川を再び渡り、歴史の余韻に浸りながら歩いていると、ふと目に飛び込んできたのが「でんがく」の文字。
何を隠そう、私は「なめしでんがく」が大好物なのです。予定にはなかった寄り道ですが、これもまた旅の縁。気がつけば、暖簾をくぐっていました。
創業30余年、老舗の「でんがく五條」
店内に入ると、そこには時間がゆっくりと流れる、懐かしくも温かい空間が広がっていました。地元の方々が自然に集い、談笑する姿。30年以上この地で愛されてきた「でんがく五條」の、地に足のついた安心感がそこにはありました。
注文したのは、もちろん看板メニューの「なめし田楽定食(840円)」。 運ばれてきた膳を見て、まずそのコストパフォーマンスの高さに驚かされます。メインの田楽に加え、菜めしごはん、煮物、小鉢、お吸い物、そしてお漬物。この充実ぶりでこの価格は、令和の時代において奇跡に近いと感じます。
山椒が奏でる、唯一無二のハーモニー
主役の田楽とうふが卓に届いた瞬間、鼻腔をくすぐったのは、香ばしく焦げた味噌の香りと、それを追いかけるように立ち上がる「山椒」の鮮烈な香りでした。
これまで数々の田楽を食べてきましたが、こちらの田楽は明らかに一線を画しています。
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味噌のコク: 甘辛く、深みのある味噌が豆腐にしっかりと絡み、焼かれたことで旨みが凝縮されています。
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山椒のアクセント: ひと口頬張ると、まず味噌のやさしい甘みが広がり、その直後に山椒の爽やかな風味が鼻へ抜けていきます。この絶妙なバランスが全体の味を引き締め、素朴な郷土料理を、非常に洗練された「一皿」へと昇華させていました。
そして、脇を固める煮物や小鉢の野菜たちの、なんと瑞々しいこと。素材の良さが活きた味付けに、店主の丁寧な仕事ぶりが伺えます。歩き巡った体に、温かい味噌の味と野菜の栄養が染み渡り、心まで満たされるひとときとなりました。 「次に来た時も、必ずここに寄ろう」 そう心に誓うほど、素晴らしい出会いでした。
街道の矜持:清洲本陣跡、往時の喧騒を門に視る
お腹も心も満たされたところで、旅の締めくくりに「清洲本陣跡」へと向かいました。 かつて中山道と東海道を結ぶ重要な脇往還であった「美濃路」。その宿場町として栄華を極めた清洲において、大名や公家、さらには朝鮮通信使といった貴賓が宿泊したのが、この本陣です。
現在はその立派な「門」のみが残されていますが、その佇まいからは、当時の威厳が今なお漂ってきます。 門の前に立ち、目を閉じれば、着飾った大名行列の足音や、異国の文化を運んできた通信使たちの話し声が聞こえてくるようです。かつてここが、単なる通過点ではなく、情報の交差点であり、最高級のホスピタリティが提供される場所であったこと。その記憶を、この門はたった一つで現代に伝え続けています。
結びに代えて
新清洲駅から始まった今回の散策。 日吉神社の静謐な信仰に触れ、偶然出会った「でんがく」の味に感動し、本陣跡で街道の歴史に思いを馳せる。 清須というまちは、派手な観光演出に頼ることなく、そこに元々あった物語を大切に守り続けている、誠実な場所でした。
今回の散策で、この地の持つ多層的な魅力の、まだほんの一部に触れたに過ぎません。この後、私はいよいよ清須のシンボルである「清洲城」へと向かいますが、そこにはまた別の、ドラマチックな光景が待っていました。
その様子については、次回のブログにて詳しくお伝えしたいと思います。 尾張の歴史を巡る旅、後半戦もどうぞお楽しみに。
地図
〒452-0942 愛知県清須市清洲541
































