祐福寺:桶狭間の戦いの前日に今川義元が宿泊( 愛知県愛知郡東郷町の旅 : 2024-03-02 )
祐福寺:桶狭間の戦いの前日に今川義元が宿泊
愛知県東郷町に行ってきました。
今回は、最初に訪れた祐福寺についてご紹介します。
今回は、赤池駅前のバス停から名鉄バス(46系統:祐福寺(東白土経由))に乗って向かうことにしました。
赤池駅前バス停から10停、約17分で、バス停:祐福寺に到着。
祐福寺(ゆうふくじ)
東郷町といえば、ららぽーと愛知東郷店。
ららぽーとから徒歩で行ける範囲で、どこか観光スポットがないか調べていたら、祐福寺というお寺があることを知り、今回はじめて訪れました。
歴史を感じる見どころ満載のすばらしいお寺でしたよ。歴史好きな人ならたまらないかと。
私がもっとも感動した山門(仁王門)
祐福寺とは
祐福寺(ゆうふくじ)は、愛知県愛知郡東郷町にある浄土宗西山禅林寺派の寺院。山号は玉松山。院号は般若院。本尊は阿弥陀三尊像。この寺は、1191年(建久2年)下野国の武将宇都宮頼綱によって創建され、明知(みょうち)城主の小野田長安と傍示本城主の加藤時利が、美濃国より達智上人を招き、1389年(嘉慶3年)にかけて再興されたと伝えられ、室町時代には後小松天皇後柏原天皇らが勅使を派遣し、勅願道場となったほか、足利義教が東上の際、当寺に宿泊し、寺領700石を賜う。その後、織田信長・織田信忠・徳川家康・徳川義直より寺領安堵の墨印を賜う。桶狭間の戦いの際には、合戦前日に今川義元が宿泊したと伝えられている。なお、現在の山門は1892年(明治25年)に建立された。
(引用元:Wikipedia より)
Wikipediaの情報を読むと、足利義教が宿泊したり、桶狭間の戦いの合戦前日に今川義元が宿泊したりと、はるか昔より、歴史的に非常に重要なお寺としてこの地に時を刻み続けてきたことが伺えます。
また、祐福寺創建は、別のブログ記事を読ませていただくと、最盛期には、25か寺を有する大道場であったなど、新たな情報もまだまだたくさんありそうです。
源頼朝の家臣が草庵を結んで道場としたのが始まりという。後醍醐天皇の嘉暦3年 (1328) には、当地・傍示本城主の帰依を受け、大伽藍が建てられた。最盛期には25か寺を有する大道場であった。
(引用元:中部復建(株)オフィシャルブログ より)
創建から800年以上、歴史に名を残す祐福寺に訪れることができることに私は高揚感いっぱい。
ではいよいよ参拝へ。
参道
祐福寺の土塀は、東郷町指定文化財になっています。
いよいよ境内がみえてきました。
まず参拝者を待ち構えていたのが、勅使門。
勅使門(愛知県指定文化財)
勅使門は、後奈良天皇 (在位1526~1557) の御願満足のために官寺となり、勅使を遣わされた時に造営されたもの。
柿葺一間一戸の中門で、朱塗りの扉には、十六菊花の御紋が金色に輝いています。
勅使門の隣にあるのは、山門(仁王門)。
山門(仁王門)
現在の山門は明治25年に建立。
大梵鐘は第二次世界大戦中に供出(戦時の金属回収)されたが、1949年(昭和24年)に再鋳造。
門の左右には見事な仁王様が仁王立ちしていました。
本当に美しい姿。眺めているだけで心癒されます。
阿弥陀堂
徳川家康寄進の阿弥陀如来像、弘法大師像、善光寺如来像、地蔵菩薩像などを奉安。
阿弥陀堂前には、今川義元公本陣跡もありました。(撮影できてませんが・・・)
本堂
絹本着色の阿弥陀三尊の掛軸を本尊としている。彼岸と秋の十夜に開帳。脇仏の善導大師像は知多郡豊浜(現在の南知多町、光明寺がある地)の漁師が海から拾ったものと言われる。
不動堂(護摩堂)
不動明王、秋葉三尺坊権現像を祀る。
庫裏
仏像を拝み、仏像や歴史的な建築物などの美しさや迫力を感じ、多くの感動や驚きを体験することができました。
興味を持たれた方は、ぜひ実際に現地に行かれることを強くおすすめいたします。
ちなみに、祐福寺の近くに大悟寺というお寺があったので、最後にご紹介します。
大悟寺
幼稚園に隣接するお寺でした。
◆地図・アクセス
〒470-0162 愛知県愛知郡東郷町春木屋敷3417
◆撮影機材
コンデジ:SONY 「RX100Ⅵ」(JPEG 出力後、2M程度に圧縮)
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