窯神神社:めずらしい登り窯を模した社殿 ( 愛知県瀬戸市の旅 : 2024-04-06 )

窯神神社:めずらしい登り窯を模した社殿(愛知県瀬戸市の旅)

 

 

今回は、約3年ぶりに愛知県瀬戸市へ。

瀬戸市の中心部である尾張瀬戸駅周辺をぶらり散歩してきました。

今回は、窯神神社にはじめて訪れましたのでご紹介。

 

窯神神社(かまがみじんじゃ)

尾張瀬戸駅から尾張瀬戸駅から北に徒歩10分ほど坂を登ったところにある神社。

窯神神社の本殿は、登り窯を模した社殿で、九州肥前で磁器製法を習い瀬戸に伝えて「磁祖」と崇められる加藤民吉が祀られています。

加藤民吉が染付焼の完成を神に感謝し、さらなる繁栄を祈願するため、日頃信仰していた秋葉山大権現、天満威徳天神、金毘羅大権現を窯神として祀り遙拝したいと、建立を藩庁へ願い出、文政7(1824)に許可されたそうです。

同年に民吉が亡くなり、文政9(1826)年に二代民吉によって初代民吉を丸窯神(現在は窯神)として祀るようになったとのこと。

 

窯神神社とは

元々は瀬戸に磁器の製法を伝えた加藤民吉の請願によって文政7年(1824年)に置かれた遥拝所で、御神体は民吉が所有していた菅原長親の筆による三神の掛軸であった。また、文政9年(1826年)には民吉を「丸窯神」として合祀し、この頃に「窯神社」と改称したと推定されている。

1907年明治40年)と1922年大正11年)に改築。大正時代の改築では陶祖加藤景正を祀る陶彦社の旧社殿を移築したが、1925年(大正14年)5月20日に放火によって焼失している

放火犯は加藤家縁故の人物で、各地で祀られる陶祖の施設に比べて窯神社が見劣りし、無くなれば建て替えられるであろうと期待してのものであったという。しかし大正から昭和初期にかけては瀬戸窯業が不振で建て替え費用が賄えず、ようやく社殿の再建が行なわれたのは1964年昭和39年)になってからであった

丸窯を模したコンクリート製の建物の中に桧造りの祠を祀る独特な形状は、当時の瀬戸市長・加藤章の発案によるものであるという。また、社殿の背後(北側)には陶土珪砂の採掘場が広がる。

(引用元:Wikipediaより)

 

窯神神社の境内入り口に到着。

駅前から結構な坂道を登って来たのがよくわかるこの傾斜道。

こんなところによく階段を設置したものだ。

 

階段の幅が狭めのため、雨の日は登るのが危険なほど。

 

窯神神社本殿

 

加藤唐左衛門高景翁顕徳碑

 

加藤民吉像

 

津金胤臣父子頌徳碑

 

展望台

 

展望台からの眺め

尾張瀬戸駅からたった徒歩10分程度にもかかわらず、駅周辺を一望できます。

 

窯にまつわる神社という珍しさと、展望台からの絶景。訪れて大正解でした!

 

この後は、再び駅前に戻り、駅東側にある瀬戸蔵を目指すことにしました。

次回のブログにつづく。

 

地図・アクセス

〒489-0048 愛知県瀬戸市窯神町112

 

撮影機材

コンデジ:SONY 「RX100M6」

(JPEG 2M出力して画質とファイル容量をおさえています)

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