亀山駅 / キットテラス亀山:駅前が近代的に生まれ変わる(三重県亀山市の旅:2024-04-12)

 

三重県亀山市の亀山駅周辺を1時間ほどぶらり散歩。

 

亀山駅周辺(三重県亀山市)

関宿を散歩後、関駅から亀山駅へ。

亀山市からバスに乗る予定があり、乗り換えのため、駅前のバス停で45分ほど待つことに。

 

関駅から亀山駅に向かう電車内

行きは、関駅下車時に車内で精算だったので、出口で払おうとしていたら、運転手無反応。

亀山駅では、駅改札で清算なんですね。

同じ亀山市内の駅なのにルールがまったく違うので、わかりにくい・・・。

 

亀山駅ホーム構内

 

亀山駅前

改札を出ると・・・

 

え?なんか立派な施設が駅前に建っている。

 

Kitto terrace(キット テラス)

Kitto terrace(キット テラス)という建物で、2022年10月21日(金)に亀山駅前広場とともに、亀山駅周辺整備事業として完成。

Kitto terrace(キット テラス)は、図書館、2階建ての商業施設、15階建ての住宅が備わった複合施設とのこと。

名前は一般応募できまったそうで

・亀山市の都としての「亀都(きっと)」
・(亀山市や市民を)きっと照らす
・亀山市民や多くの来訪者のコミュニケーションを組み立てるきっかけ(材料=kit)となる場所
これらが亀山駅前再開発の目的によくマッチしていることや、言葉の響き、覚えやすさ等から最優秀賞に選定されたそうです。

 

Kitto terrace(キット テラス)

 

ヤマトタケル・オトタチバナヒメ銅像

広場内には、新図書館の開館にあわせて、市にゆか りのある「ヤマトタケル」とその妃「オトタチバナヒメ」 の銅像が設置されておりました。

 

 

少し近場を歩くことに。

 

池の側

 

池の側には、ものすごくインパクトがある石碑が!

石井兄弟敵討跡(石井兄弟仇討ち)

 

石井兄弟仇討ちとは、江戸時代の元禄十四年(一七〇一)五月九日、源蔵と半蔵の二人の兄弟が、父石井宇右ヱ門(大阪城代青山因幡守宗俊の家臣)と兄三之丞の仇である赤堀水之助に二十八年目にめぐりあい、城内西之丸の石坂門外で討ち取った事件のことである(写真1)。この時、赤堀水之助は、亀山城主板倉家の家臣であつた。仇討ち後、二人は城主板倉家宛ての手紙を残し、急ぎその場を逃れ領外へ出た。その後、二人は暇をもらっていた青山因幡守の家臣として帰藩が許されて、生涯を丹波亀山(現在の亀岡市)で過ごした。
この事実は、元禄十五年十二月の赤穂浪士の仇討ちにも影響を与えたといわれ、歌舞伎では「勢州亀山の仇討ち」などの演目として上演され、また実録物としての上演は「石井明道士」がある。浄瑠璃では『近松浄瑠璃集』には「道中亀山噺」など、外に『竹本義太夫浄瑠璃正本集』に「道中評判敵討」「往昔模様亀山染」(明和七年)がある。浮世草子に都の錦作の「元禄曽我物語」(元禄十五年作)がみられる。
現在、仇討ちが行われた石坂門外跡近くには、当時の事情を伝える碑が、昭和七年(一九三二)、亀山保勝会の手によって、建立されている(写真2)。
また、討ち取られた赤堀水之助の墓は、市内野村の照光寺に葬られている (市史跡) 。

(引用元:亀山市公式サイトより)

 

 

この後は、亀山城跡へ。

つづく。

 

所在地

〒519-0155 三重県亀山市御幸町183

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