【年魚市潟勝景跡・熊野三社・安泰寺】古代の海原から戦国の城跡へ!呼続の歴史を巡るお散歩旅(名古屋市南区の旅:2026-08-14)

 

年魚市潟勝景跡・熊野三社・安泰寺(名古屋市南区)

稲荷山長楽寺の境内をあとにして、私はさらに北へ向けて歩みを進めました。道中、かつての歴史の面影を伝える「呼続遺跡」の案内看板を眺めながら、旅の舞台は古代の景勝地である「年魚市潟勝景跡」へと移っていきます。

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名古屋市南区の呼続周辺を歩くと、現在の閑静な住宅街の中に、かつての海辺の風景や戦国武将たちが駆け抜けた足跡が幾重にも重なっていることに気づかされます。

今回訪れたのは、「年魚市潟勝景跡」、「熊野三社」、「呼続人道橋」、「安泰寺」の4か所です。南から北へと足を進めるにつれて、この土地が歩んできた深い歴史のロマンに触れることができました。

古代の海を望んだ景勝地「年魚市潟勝景跡」

最初に訪れたのは、白毫寺(びゃくごうじ)の境内にある「年魚市潟勝景跡(あゆちがたしょうけいあと)」です。

白毫寺はお盆ということもあり、境内は参拝に訪れた多く人々でにぎわっていました。人々が行き交う活気を感じながら境内を進みます。

現在は周囲に市街地や住宅が広がるこの一帯ですが、古代の昔には、ここから悠大な年魚市潟や知多の浦を一望することができたといわれています。数々の万葉歌人たちが和歌に詠んだ景勝地とされ、当時は波穏やかな海や干潟が広がる美しい水辺の風景が広がっていたのでしょう。

「あゆち」という古代の呼び名は、現在の「愛知県」という県名の語源になったとも伝えられています。普段何気なく使っている馴染み深い地名のルーツが、まさにこの名古屋市南区の歴史につながっていると思うと、非常に深い感慨とロマンを覚えます。

白毫寺は元亀2年(1571年)の創建と伝えられる歴史ある寺院です。境内には、年魚市潟勝景跡を記した石碑や歌碑、さらには松尾芭蕉の句碑などが大切に残されています。この場所は、昭和48年(1973年)に名古屋市の名勝にも指定されました。

現在の街並みから、かつての海岸線を頭の中で想像するのは簡単ではありません。それでも、歴史を刻んだ石碑の前に立つと、かつてこの高台から広大な海や干潟を眺めていた古代の人々の姿が鮮やかに思い浮かびます。今の街並みの下に、まったく異なる壮大な自然の風景が眠っていることを感じさせてくれる特別な場所でした。

古い地名と神木が物語る「熊野三社」

年魚市潟勝景跡をあとにした私は、さらに歩みを進めて「熊野三社(くまのさんしゃ)」へと向かいました。

この神社は、永禄年間(1558年から1570年)に山崎城の城主であった佐久間信盛が守護神として祀った社を、寛永4年(1627年)に山崎村の氏神として現在の場所へ移したことに始まると伝えられています。

境内に足を踏み入れてまず注目したいのが、「松巨嶋」と刻まれた歴史ある手水鉢です。ここには明和3年(1766年)という古い年号も刻まれており、この地域がかつて持っていた古い地名を現代に伝えています。

「松巨嶋(まつこじま)」という名前は、熱田方面からこのあたりを眺めたときに、周辺の一帯が松の木々に覆われた大きな島のように見えたことに由来するといわれています。先ほど訪れた年魚市潟勝景跡で知った、かつて周囲に海や干潟が広がっていたという古代の風景と、この地名が見事に結びついていくのを感じます。

また、境内には樹齢500年ともいわれる堂々としたクスノキの神木がそびえ立っています。長い年月をこの地で生き抜いてきた神木と、古い地名を今に刻む手水鉢。そのどちらもが、この土地で脈々と受け継がれてきた歴史の重みを物語っていました。

年魚市潟勝景跡では古代の海原に思いをはせ、熊野三社では土地の記憶をとどめる名前に触れる。歩みを進めるたびに、この地域の過去の横顔が少しずつ鮮やかに見えてくるようでした。

呼続人道橋から戦国の山崎城跡「安泰寺」へ

熊野三社をあとに北へ向かうと、「呼続人道橋(よびつぎじんどうきょう)」へと差しかかります。

呼続人道橋は、歩行者が安全に鉄道を越えるための橋として架けられたものです。この周辺を歩くとき、現在を走る名鉄名古屋本線の線路が通る場所と、かつての山崎城の地形との間に深い関係があることが注目されています。

その山崎城の跡地に建つのが、次に訪れた「安泰寺(あんたいじ)」です。

安泰寺の境内は、戦国時代に築かれた山崎城があった場所と伝えられています。山崎城は三方が崖に囲まれた天然の要害であったとされ、現在走っている名鉄の線路付近が、かつて城の西側を守る「堀」にあたると推測されています。

城主の変遷としては、蔵人浄盤、加藤弥三郎、そして先ほどの熊野三社の由緒にも登場した佐久間信盛らの名が歴史に伝えられています。かつてこの場所が城として重要な拠点であったことを裏付ける証拠です。

城が廃された後、笠寺観音の北側にあった宝珠庵という寺院がこの地へと移され、現在の安泰寺になったといわれています。現在はお盆の参拝客や地域の人々があたたかく行き交う落ち着いた寺院となっていますが、かつてこの足元には城が築かれ、周囲の険しい地形を利用して固い守りを固めていた時代がありました。

城の建物や当時の巨大な堀がそのままの形で残っているわけではありません。それでも、周囲の細かな高低差や鉄道が通る地形の妙に目を向ければ、かつての城の姿をありありと想像する大きな手がかりになります。

歴史の痕跡をたどった散策の結びに

今回の散策では、年魚市潟勝景跡から熊野三社、呼続人道橋、そして安泰寺へと、南から北へ向かって自分の足でしっかりと歩き通しました。

古代には波静かな海や干潟を望む素晴らしい景勝地があり、土地の名前は手水鉢に刻まれ、戦国時代には険しい城が築かれていました。時代ごとに表情は大きく異なっていても、それぞれの場所が同じ一つの地域の歴史を途切れなく伝えていることに、底知れない面白さと魅力を感じます。

大規模な歴史的建造物や目立つ遺構が残されていなくても、古い石碑や失われた地名、そして土地の微妙な高低差などに目を向ければ、いつもの何気ない街歩きとはまったく違った豊かな景色が広がってきます。

これら4か所の史跡を巡ったあとは、ゴールとなるイオンモール新瑞橋へと向かい、今回の充実した散策を無事に締めくくりました。

名古屋市南区の街並みを巡りながら、古代の海辺の風景から戦国時代の城跡まで、思いのほか幅広い時代の歴史に直接触れることができた、実り多き一日となりました。

地図:年魚市潟勝景跡

〒457-0015 愛知県名古屋市南区岩戸町7−19

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