【稲荷山 長楽寺】尾張の歴史と戦国の記憶をたどる南区散策!旧織田・今川領の境界と清水稲荷殿を巡る旅(名古屋市南区の旅:2026-08-14)
長楽寺・清水稲荷殿(名古屋市南区)
呼続公園の緑豊かな池畔で爽やかな風を感じながら休息を取った後、私は公園を東側へと抜け、次なる目的地である「稲荷山 長楽寺(ちょうらくじ)」へと向かいました。
名古屋市南区を巡る旅の後半戦。歴史ある社寺の佇まいだけでなく、戦国時代の重要な足跡や人と動物の温かな絆、そして徳川家ゆかりの歴史ロマンが息づく静寂の境内に足を踏み入ます。
【名鉄 桜駅周辺】歴史と緑が交差する南区散歩!桜神明社・富部神社・呼続公園を巡る旅(名古屋市南区の旅:2026-08-14)
弘法大師開基の古刹「稲荷山 長楽寺」へ
呼続公園から静かな街並みを歩くことしばらく、歴史を感じさせる山門が見えてきました。ここが曹洞宗の寺院、「稲荷山 長楽寺」です。
長楽寺は、平安時代の初期である弘仁12年(821年)、弘法大師・空海によってこの地に七堂伽藍が建立されたことに始まると伝えられる大変歴史の古い古刹です。創建当時は「寛蔵寺」と称されていましたが、室町時代に再興され、のちに曹洞宗の寺院となりました。
この日はちょうど8月14日のお盆の時期ということもあり、境内には多くのご家族連れの姿が見受けられました。
長楽寺は古くから動物霊園としても広く知られており、愛するペットたちの供養のために多くの方々が訪れておられます。境内を歩いていると、人と動物との深い結びつきを感じさせる温かな空気が漂っていました。
また、境内の一角には、かつて多くの人々の心を打った「盲導犬サーブ」の慰霊碑も静かにたたずんでいます。人々の暮らしに寄り添い、愛されてきた歴史と慈愛の心が、この境内のあちこちに根付いているのを感じることができました。
静寂に包まれた「旧今川領・旧織田領境界」を歩く
今回、私が長楽寺を訪れた大きな目的は、単に寺院を参拝することだけではありませんでした。長楽寺の境内の南側に今もひっそりと残されているという「旧今川領・旧織田領境界」の痕跡を、自分自身の目で確かめ、その土を踏みしめてみたいという強い思いがあったからです。
帯刀屋敷跡の伝承地に思いを馳せた後、私はさらに南へと足を伸ばし、今回の旅の最大の目的である「旧今川領・旧織田領の境界」へと向かいました。
戦国時代の尾張国は、尾張統一を目指す織田氏と、駿河・遠江・三河を治め巨大な勢力を誇った今川氏とのせめぎ合いの舞台でした。今川氏は尾張東部へ着々と進出し、鳴海城や大高城などを拠点として織田方と激しく対立していました。これらの緊張関係が極限まで高まった結果として引き起こされたのが、あの永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いなのです。
長楽寺の南側に辿り着くと、そこにはまるで掘のように深く落ち込んだ、谷状の特殊な地形が残されていました。
解説によると、この地形を挟んで長楽寺側が「旧織田領」、そして反対側が「旧今川領」であったとされています。現代の国境や行政区画のように明確な壁や標識があるわけではありません。しかし、この自然の起伏や谷状の地形そのものが、当時の勢力圏を分ける重要な境界線として機能していたことが窺えます。
実際に現地を歩いてみると、お盆の参拝客でにぎわっていた長楽寺の境内とは打って変わり、周囲は驚くほどの静けさに包まれていました。
古い石畳の道を歩を進めるにつれて、賑やかな人の声は次第に遠のき、まるで現代の日常から切り離されていくような不思議な感覚を覚えます。木漏れ日が落ちる静寂の道筋に立つと、かつてこの細い谷筋を挟んで、織田方と今川方の兵たちが互いに警戒の目を向けていた時代の空気が蘇ってくるようです。
目の前にある景色から、当時の境界線を緻密に復元することはできません。それでも、この谷状の地形を目の前にして立つだけで、戦国武将たちが領土をかけて鎬を削っていた時代の息遣いがリアルに胸に迫ってきます。
城跡や合戦場のような目立つ建造物や遺構が残っていなくても、土地の微妙な高低差や道の空気感から、かつての歴史のドラマを確かに感じ取ることができる。これこそが、自分の足で歴史の現場を歩く旅の醍醐味であり、今回この場所を訪れた大きな意味だと深く実感いたしました。
新緑に映える朱色の美「清水稲荷殿」と「徳川忠吉公平癒松」
境界の谷筋を静かにたどった後、私はさらに境内を進み、「清水稲荷殿(しみずいなりでん)」へと向かいました。
鬱蒼とした深い緑の木々に囲まれた境内に足を踏み入れると、突如として目の前に艶やかで鮮やかな朱色の社殿が姿を現しました。周囲の瑞々しい木々の緑と、社殿の鮮烈な朱色との対比があまりにも美しく、あまりの出来栄えに思わず足を止めてじっくりと見入ってしまいました。戦国時代の張り詰めた境界をたどってきた先に現れたこの光景は、非常に強く印象に残るものでした。
清水稲荷殿には、清水吒枳尼真天(しみずだきにしんてん)が祀られています。ここは長楽寺の長い歴史と深く結びついた信仰の場であり、静謐な自然の中に鮮やかな社殿が実に見事に映えています。
社殿のすぐ近くには、長い年月を見守ってきた石仏や弘法大師像なども静かにたたずんでいました。鮮やかな朱色の社殿と、歳月を経て味わいを増した石像のコントラストもまた、深く心に染み入るものがありました。
さらに清水稲荷殿の参道を進んでいくと、「徳川忠吉公平癒松(とくがわただよしこうへいゆまつ)」と刻まれた風格ある石碑を目にすることができます。
徳川忠吉は、徳川家康の四男です。前回の富部神社でもその名に出会いましたが、慶長8年(1603年)、病を患った忠吉が長楽寺にて平癒を深く祈願したところ、無事に回復したと伝えられています。その報恩感謝の縁から、慶長11年(1606年)には長楽寺へ堂宇などを寄進しました。この石碑は、徳川家と長楽寺との深い歴史的なつながりを現代に静かに伝えています。
旅はさらに北の歴史散策へ
旧今川領・旧織田領の境界を訪ねることから始まった今回の長楽寺散策。戦国時代の勢力争いに思いを馳せ、静かな小道を歩き、最後には清水稲荷殿の美しい朱色や徳川忠吉ゆかりの史跡に出会うことができました。
長楽寺には、古刹としての歴史だけでなく、周囲の地形に今も刻まれている戦国時代の記憶がしっかりと息づいています。歴史の舞台となった土地に自分の足で立ち、空気を感じながら歩くことで、これまで書物の上だけで知っていた歴史が、ぐっと身近に感じられる充実した時間となりました。
長楽寺を後にした私は、再び北を目指して歩みを進めました。道中、「呼続遺跡」の存在を知らせる案内看板を眺めつつ、さらに北へと向かいます。
次に向かうのは、「年魚市潟勝景跡(あゆちがたしょうけいあと)」、そして「熊野三社」です。
古くから歌に詠まれた美しい風景の痕跡と、地域に深く根差した神社を巡る旅の続きは、次回のブログでお届けいたします。どうぞお楽しみに。
地図
〒457-0014 愛知県名古屋市南区呼続4丁目13−18
なんかいろいろ大好きBLOGをもっと見る
購読すると最新の投稿がメールで送信されます。

























