川中島古戦場周辺の史跡巡り(赤川の碑・胴合橋・おやきファーム・典厩寺編):名軍師の最期の地と激戦の記憶を辿る(長野県長野市の旅 : 2026-07-03)
赤川の碑・胴合橋・おやきファーム・典厩寺(長野県長野市)
川中島古戦場史跡公園を後にして、次に向かったのは公園周辺に点在する川中島の戦いにゆかりのある史跡群です。公園の敷地を出て、激戦の記憶が色濃く残るエリアへと足を伸ばしました。
川中島古戦場史跡公園(長野市立博物館編):美しい湖畔の景観と川中島の戦いを深く知る歴史探訪(長野県長野市の旅 : 2026-07-03)
■ 血塗られた激戦の記憶を今に伝える「赤川の碑」
公園から250mほど南へ進むと、住宅街の中にひっそりと現れるのが「赤川の碑」です。 ここはかつて赤川神社があった場所で、現在は「赤川神社跡」として史跡が残されています。
永禄4年(1561年)の第4次川中島の戦いでは、この周辺も両軍が激しく交錯する凄惨な激戦地となりました。戦いによって多くの兵士が命を落とし、流れる川の水が血で真っ赤に染まったことから、いつしか「赤川」と呼ばれるようになったという凄絶な伝承が残されています。
その後、明治時代の神社整理・合祀政策によって赤川神社自体は廃社となりましたが、この場所が持つ記憶が忘れ去られることはありませんでした。1927年(昭和2年)、川中島の戦没者を深く悼み、浅井洌の歌を刻んだ「赤川の碑」がこの地に建立されました。
「骨をつみ しほ流しし もののふの おもかげうかぶ 赤川の水」
静まり返った碑の前に佇んでいると、450年以上前の激戦の凄まじさと、そこで命を散らした人々への鎮魂の祈りが今も静かに響いているように感じられます。
■ 名軍師・山本勘助の最期の地「胴合橋」
さらに300mほど南へ進み、到着したのが「胴合橋(どうあいばし)」です。
現在は静かに道路が通り、一見するとごく通常の橋ですが、橋のたもとには「山本勘助鎮魂碑」が建ち、1561年の第4次川中島の戦いの悲劇を今に伝えています。
山本勘助といえば、武田信玄に仕え、数々の鮮やかな作戦を立案した名軍師としてあまりにも有名です。しかしこの第4次川中島の戦いにおいて、勘助は激しい戦闘の渦中で奮戦むなしく討ち死にを遂げたと伝えられています。
この場所には、勘助の最期にまつわる切ない伝承が残されています。敵に討ち取られた勘助の首を武田方の兵士が取り戻し、胴体を探し求めて首と胴を合わせた場所がまさにこの付近であったとのこと。そこから「胴を合わせる」という意味を込めて「胴合」という地名が付けられたといわれています。
なお、胴合橋の下を流れているのは「本田堰(ほんでんぜき)」という用水路です。現在は静かに水が流れる細い水路となっていますが、長野市の解説によると、現在の胴合橋はこの本田堰にかつて架かっていた橋を復元したものだそうです。
歴史に名を残す名軍師・山本勘助終焉の地。歴史ファンとしてどうしても訪れておきたかった場所だけに、実際にその場に立ち、感慨深い思いで胸が満たされました。
■ 「おやきファーム BY いろは堂」のスカイデッキで味わう長野の味覚
史跡巡りで心が満たされた後は、胴合橋のすぐ隣にある「おやきファーム BY いろは堂」へ立ち寄りました。 長野を代表する伝統的な郷土食「おやき」を存分に楽しめる最新のスポットです。
「おやき」といえば、野沢菜やねぎみそ、かぼちゃなどの具材を香ばしい皮で包み込んだシンプルな料理ですが、具材の旨味と生地の食感の組み合わせが魅力です。こちらの「おやきファーム」は、老舗おやき店として有名な「いろは堂」が手掛ける現代的な拠点で、木をふんだんに使った美術館のようなおしゃれな建築が目を引きます。
館内ではこだわりのおやきの販売をはじめ、製造工程の見学やカフェ、さらにおやき作り体験まで楽しめるようになっています。しかし、長野駅へ戻るバスの出発時刻まで残り30分ほどしかなかったため、今回はテイクアウトでおやきを購入し、2階のスカイデッキでいただくことにしました。
以前、善光寺を訪れた際にはタイミングが合わず食べ損ねていたおやき。澄み渡る空と自然豊かな長野の風景を眺めながら味わう出来立てのおやきは格別の美味しさで、大満足の休憩タイムとなりました。
■ 武田信繁を弔い、戦没者を供養する「典厩寺」へ
そして今回の長野旅の締めくくりとして訪れたのが、「典厩寺(てんきゅうじ)」です。
典厩寺はもともと「鶴巣寺(かくそうじ)」と呼ばれていた歴史あるお寺です。第4次川中島の戦いにおいて、武田信玄の弟である武田典厩信繁(たけだてんきゅうのぶしげ)がこの地に本陣を置いて出陣したと伝えられています。信繁は武田軍の副将として兄・信玄を陰で支え続けた名将でしたが、激闘の中で37歳という若さで討ち死にしました。その遺骸が鶴巣寺の境内に葬られたのです。
その後、初代松代藩主となった真田信之が信繁の菩提を弔うため、承応3年(1654年)に寺号を「典厩寺」と改めました。以来、武田・上杉両軍のすべての戦死者を分け隔てなく供養する寺として大切に守られてきました。
境内に入ってまず目を引くのが、威風堂々とした「閻魔堂(えんまどう)」です。川中島の戦いから300年の節目にあたる万延元年(1860年)、松代藩8代藩主・真田幸貫の発願によって建立されたもので、2018年には国の登録有形文化財にも指定されています。お堂の中には、高さ約5mにも及ぶ巨大な朱塗りの閻魔大王像が安置されており、圧倒的な存在感を放っています。
また、閻魔堂の豪華な天井絵にも驚きでした。天井には美麗な観音菩薩が描かれ、閻魔大王の背後には四天王が控えています。正面や側面の壁面にも川中島の戦いを彷彿とさせる絵や冥界の様子が描かれており、空間全体が戦没者を供養するための厳かな世界観で満たされています。 ちなみに正面に描かれた四天王のうち、右から2番目に位置する北方多聞天王は、別名「毘沙門天」として知られる神様です。上杉謙信が自身の守り本尊として掲げた「毘」の旗印の由来でもある尊天に、思わぬところで巡り会うことができました。
境内には1966年に開館した「川中島合戦記念館」も併設されています。館内は撮影禁止となっていますが、武田信繁・武田信玄・山本勘助の肖像画をはじめ、武田家系図、甲陽軍鑑、実際の火縄銃や鎧の下着、戦況地図など、60点余りにおよぶ貴重な歴史資料が展示されており、当時の戦国の息吹を間近に感じることができます。
そして境内の最奥には、武田典厩信繁の墓が静かに佇んでいます。信繁は文武両道に秀で、家臣からも絶大な信頼を寄せられた人物でした。決して兄と家督を争うことなく、どこまでも副将として武田家を支え抜いたその生き様に思いを馳せながら、深くお参りをさせていただきました。
■ 旅の終わりと次の信州旅への思い
典厩寺での参拝を終えた後は、余韻に浸りながらバスに乗り込み、JR長野駅へと戻りました。
前回の善光寺訪問に続き、今回は川中島古戦場史跡公園とその周辺をじっくりと巡り、歴史の表舞台となった川中島の戦いの地を体感することができました。
長野には、松代城周辺や善光寺周辺など、前回行ききれなかった魅力的なエリアがまだまだ残されています。さらに少し足を延ばせば、真田郷として知られる上田城周辺など、訪れたい史跡が尽きることはありません。
季節の暑さが少し和らいだ頃に、ぜひ再び信州の歴史を巡る旅に出かけたいと思います。
住所 / 地図
〒388-8019 長野県長野市篠ノ井杵淵1000

































