愚渓寺|名鉄広見線を訪ねて可児・御嵩ぶらり旅(第4回) ( 岐阜県御嵩町の旅 : 2026-07-18 )
臨済宗妙心寺派大智山 愚溪寺(岐阜県御嵩町)
名鉄広見線の新可児駅から御嵩駅へ至る沿線の歴史と魅力を巡ってきたぶらり旅も、御嵩駅周辺の散策はいよいよラストを迎えます。
2026年7月18日、御嵩駅舎や願興寺、御嶽宿の歴史ある町並みを巡った後、駅から20分ほど北へと歩を進め、臨済宗妙心寺派の古刹「大智山 愚渓寺(ぐけいじ)」を訪れました。今回は、京都の有名な世界遺産とも深い繋がりを持つ、この静かな山麓の名刹の魅力をご紹介します。
御嵩富士の山麓に佇む名刹への道のりと歴史
御嵩駅から北へ向かって歩き進めると、周囲の風景は徐々に緑豊かな山あいの表情を見せるようになります。愚渓寺は「御嵩富士(みたけふじ)」と呼ばれる山の下に位置する寺院であり、最後にはなかなかの急な坂道が待ち受けています。夏の日差しを受けながら坂道をしっかりと登り切ると、緑に囲まれた静寂の中に重厚な寺の姿が現れます。
愚渓寺の起源は、室町時代の応永16年(1409年)に遡ります。現在の御嵩町御嵩付近に「無著庵」という小さな草庵が設けられたことが始まりとされています。
その後、京都の妙心寺との関わりが深まり、応永35年(1428年)に義天玄承(ぎてんげんしょう)が中村の鈴が洞へと拠点を移し、「愚渓庵」としたことが現在の愚渓寺の直接の始まりです。この義天玄承という人物こそ、後に京都の超有名寺院である龍安寺を開山することになる高僧です。
なお、現在の場所へ移転したのは江戸時代末期のことです。天保年間から嘉永年間にかけて、山中にあった寺を現在地へと移転・整備しました。岐阜県の調査によれば、かつての旧境内跡は現在の境内から北西に約1kmほど離れた山腹に今もひっそりと残されています。
京都・龍安寺の石庭の原型!「臥龍石庭」で味わう至福の時
愚渓寺を訪れた際の一番の見どころといえば、なんといっても「臥龍石庭(がりゅうせきてい)」です。
一面に白砂を敷き詰めた美しい枯山水の庭園に、バランスよく石と松を配置した見事な造りとなっており、現在は3つの石が静かに腰を据えています。かつて鈴が洞にあった時代の庭園では7つの石が使われており、まるで横たわる龍の姿を表現していたと伝えられています。
そして、この庭園が歴史的に非常に興味深いのは、あの京都・龍安寺にある世界的に有名な石庭の原型(プロトタイプ)とされている点です。
義天玄承が愚渓庵を開いた後に京都の龍安寺を開山したという明確な歴史的繋がりがあることから、愚渓寺の石庭は龍安寺の石庭のルーツを解き明かすうえでも極めて重要な存在と位置づけられています。地元・御嵩町でも「愚渓寺石庭は龍安寺石庭の原型」として大切に紹介されています。
普段から日本庭園を眺めることが大好きな私は、この洗練された白砂と石の空間にすっかり魅了されてしまいました。静かな境内を吹き抜ける風を感じながら、心落ち着く庭の前でしばし佇み、贅沢で心地よい時間を過ごすことができました。
圧倒的な存在感を放つ江戸末期の歴史的建造物「二重塔」
静寂に包まれた境内をさらに散策していると、一際目を引く建造物に出会います。万延元年(1860年)に建てられた「二重塔(多宝塔)」です。
緑の木々を背景に立つその姿は、非常に力強く、圧倒的な存在感を周囲に醸し出していました。
この塔は、単なる観賞用や建築の記念として建てられたものではなく、仏教の聖典である一切経全巻を大切に納める「経蔵」としての重要な実用的な役割を持って造られたものです。幕末の厳しい時代にこれほど立派な建造物を建てた当時の人々の信仰心と技術力の高さに、思わず深く感心させられました。
御嵩の深い歴史を巡る旅を終えて
御嵩駅から20分ほど歩くため、少し足を延ばすことにはなりますが、豊かな歴史と静けさに包まれた本当に訪れてよかったと思える素晴らしいお寺でした。
今回の散策を終えて御嵩駅周辺の旅もいよいよ一区切りとなります。御嵩駅の周辺には、ここからさらに20〜30分ほど歩いた場所に「みたけの森」や「御嵩城址公園」といった魅力的なスポットも点在しています。しかし今回は、30℃を超える過酷な暑さの中での散策ということもあり、無理をせず次の機会の楽しみとして残しておくことにしました。
愚渓寺の参拝を終えた後は、再び御嵩駅へと戻り、名鉄広見線の電車に乗って二駅先の顔戸(ごうど)駅を目指します。
次回は、可児・御嵩ぶらり旅もいよいよ最終回を迎えます。沿線の魅力を最後までたっぷりとお届けしますので、ぜひお楽しみに。
地図:愚渓寺
〒505-0121 岐阜県可児郡御嵩町中2635−1




















